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小林 静雄(こばやし しずお、1909年(明治42年)9月2日 - 1945年(昭和20年)1月24日)は、日本の能楽研究者。研究のみならず能評、さらに新作能の創作など才気にあふれた活動で将来を嘱望されたが〔能・狂言事典〕、第二次世界大戦で戦死した。 ==生涯== 東京世田谷の生まれ。1932年(昭和7年)、早稲田大学文学部国文学科卒業。卒業論文は能作者・観世信光について研究した「観世小次郎信光事蹟考」。これら能作者の研究は後に、代表作『謡曲作者の研究』(1942年(昭和17年))に結実することとなる。大学卒業後から読売新聞・国民新聞などに能評を掲載する一方、大学院在学中の1933年(昭和8年)には『能楽史料・第一輯』を刊行。1935年(昭和10年)、同大学大学院を修了。 以後、千代田女子専門学校で講師を務めつつ、能楽雑誌「観世」の編集主任として活躍。観世流による謡本「観世流大成版謡本」の刊行に当たってはその推進役となった〔岩波講座 能・狂言III〕。 その能楽史研究は多くの資料を用いた実証的なものであると同時に、新見と才気に満ちたもので、短い生涯の間に次々と優れた研究を発表した〔『世阿弥(増補版)』跋における小山弘志の評〕。特に『謡曲作者の研究』に収められた能作者についての研究は、作者研究の基礎をなすものとして高く評価されている〔『謡曲作者の研究』再版時の帯〕。 また創作活動にも筆を染め、新作能「竈門山」(1940年(昭和15年))、「竈山」(1941年(昭和16年))、「山田長政」(1942年(昭和17年))、「緋桜」(1943年(昭和18年))を発表。 1944年(昭和19年)、教育召集を受け東部第2部隊(東京)に入隊、翌1945年(昭和20年)第10627部隊西矢隊に属してフィリピンへ渡り、ルソン諸島ミンドロ島で戦死。享年35。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小林静雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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