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小林 麻美(こばやし あさみ、1953年11月29日 - )は、日本の元歌手・女優・モデル。本名、田邉 稔子(たなべ としこ)。旧姓、小林。 東京都大田区大森出身〔『週刊朝日』1982年10月8日号、54-58頁(本人のインタビューも含む記事)。〕。普連土学園中学校・高等学校卒業〔。夫は田辺エージェンシー社長の田邊昭知。 ==来歴・人物== 生家は大森新地近くにあり、父親は国鉄の信号機などを設計する技術者、母は美容師で共働きであった〔。7歳違いの姉がいる〔。15歳の時、骨髄炎から急性肝炎を併発して1年間入院療養をする〔。高校一年の時、少女雑誌のモデルにスカウトされ、2、3回その仕事をこなした後、1970年、ライオン歯磨きのコマーシャルガールに選ばれる〔。しかしこの時、テレビコマーシャルの撮影でスキーを行った時に複雑骨折してしまい、長期休業。小林をあてにしてのれん分けまでしたその事務所は、1ヶ月で消滅してしまう。 1972年、18歳の時、東芝レコードから「初恋のメロディー」で歌手デビュー〔。同期に麻丘めぐみ、五十嵐じゅんら〔。「初恋のメロディー」はオリコン18位を記録したが、当時のアイドルに多く求められた、明るく無邪気に笑顔を見せる天真爛漫さとは対極にあるような、殆ど笑顔を見せずにうつむき加減、猫背で気だるそうに歌う小林の姿は異質にも映り、暗い印象を持たれた。1976年までに年に1枚程度のシングルをリリースするが売り上げは伸びず、アイドル歌手としては不向きとみた事務所の方針で歌手活動は自然消滅となる〔。 小林の名が浸透したのは1970年代後半、資生堂、パルコなどのCMに起用されてから。特に1977年のパルコCM「淫靡と退廃」で、細い体や暗さが受け入れられた〔。 その後に所属した主な芸能事務所は、田辺エージェンシー。 1984年に8年ぶりに歌手として「雨音はショパンの調べ」をリリース。大ヒットしたが、当時歌番組で歌ったことは一度も無かった。但し小林本人はラジオ番組で「私自身は全く断ってないのよ。テレビで歌いたかったのに」と主張したことがある。 公称167cmと長身で華奢と言えるほど細い身体、ゆるくウェーブのかかったワンレングスの長い髪、溌剌と話さず物静かで寡黙、陰のある表情が印象的で、そのアンニュイな雰囲気が都会的と言われて人気を得た〔。 都会的でファッショナブルな女優という認知であったため、『真夜中の招待状』ではタイトルシーンを含めて計27回、一分の隙もないコーディネートで登場している〔『サンデー毎日』1982年5月2日号21頁〕。 1991年、所属していた事務所の社長の田邊昭知と結婚、家庭に入るため芸能活動から引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小林麻美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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