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小柳津要人 : ミニ英和和英辞書
小柳津要人[おやいづ かなめ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やなぎ]
 【名詞】 1. willow 2. slim 
: [かなめ]
 【名詞】 1. pivot 2. vital point 
要人 : [ようじん]
 【名詞】 1. important person 
: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1

小柳津要人 : ウィキペディア日本語版
小柳津要人[おやいづ かなめ]

小柳津 要人(おやいづ かなめ、1844年4月2日天保15年)2月15日) - 1922年大正11年)6月21日)は、明治・大正期の実業家、武士(岡崎藩士)。丸善の専務取締役社長を務めた。
== 経歴 ==
三河国にて岡崎藩士・小柳津宗和の長男として生まれる。幼少時は志賀重昂の父重職の下で学ぶ。岡崎藩主・本多忠民に仕え藩の要人となる。
1863年(文久3年)、西洋流大砲方の命を受けて江戸にのぼったが、英書を学ぶ必要を感じて大鳥圭介の塾縄武館に入る。また中浜万次郎に師事し、兵学・洋学の手ほどきを受けた。同年秋より開成所に転じ、英学得業士となる〔『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、115頁、116頁〕。
1868年(慶応4年)の戊辰戦争時には、志賀熊太に血判状を提出した後に脱藩して遊撃隊に加わる。1868年(明治元年)箱館に向かい、同地において官軍と戦い負傷する。五稜郭を嬰守するに至りて事のなすべからざるを知り、江戸に護送され、岡崎で謹慎を命ぜられる。
1870年(明治3年)に上京、英学者乙骨太郎乙の学僕となる。大学南校で学び慶應義塾に転じるも、廃藩置県により藩費が途絶したため、1872年(明治5年)、九州の柳川英学校に英語教師として赴任する。同年中に岡崎に戻り英語塾を開いた。
1873年(明治6年)1月、横浜丸屋商店(丸善の前身)に入社。1877年(明治10年)3月、大阪支店の支配人となる。1892年(明治15年)7月、東京支社に転ずる。
1900年(明治33年)2月、丸善取締役社長に就任。1916年(大正5年)まで同社の社長を務めた。また、大日本図書株式会社の重役や東京書籍の監査役にも就いている。 1922年(大正11年)6月21日、死去。。1961年(昭和36年)7月1日、岡崎市名誉市民に推挙される〔『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、615頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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