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宗湛(そうたん、応永20年(1413年) - 文明13年3月9日(1481年4月16日))は、室町時代中期の画僧。宗丹とも書く。字は小二郎(または小三郎)。自牧と号した。小栗満重の子。 == 生涯 == === 武将・小栗助重として === 鎌倉府(鎌倉公方)の管轄国内の武士でありながら室町幕府の征夷大将軍と直接主従関係を結ぶ京都扶持衆の一つである常陸小栗氏の出身であり、初めは小栗 助重(おぐり すけしげ)という名(俗名)の武将であった。この頃の常陸小栗氏は、応永30年(1423年)に小栗満重が鎌倉公方・足利持氏に対し反乱(小栗満重の乱)を起こして没落していた。その持氏が永享の乱を起こして自害すると、結城氏朝がその遺児(足利春王丸・足利安王丸)を擁して挙兵するが(結城合戦)、満重の子または弟(前者が有力)である助重がこの戦いで武功を立てたことにより、旧領への復帰を許され、家督を継承。しかし、のち康正元年(1455年)に享徳の乱の最中で持氏の遺児(春王丸・安王丸の弟)である足利成氏の攻撃を受けて本貫地である小栗御厨荘(現在の茨城県筑西市)を失ってしまい、まもなく出家し宗湛入道と号す。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宗湛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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