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小森まなみ : ミニ英和和英辞書
小森まなみ[こもり まなみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もり]
 【名詞】 1. forest 

小森まなみ : ウィキペディア日本語版
小森まなみ[こもり まなみ]

小森 まなみ(こもり まなみ、10月16日 - )は、日本ラジオ番組パーソナリティ歌手声優エッセイスト血液型はB型。星座天秤座
作家として小森眞奈美、童話作家としてこもりまなみとしても活動している。日本児童文芸家協会会員。NPO法人メディカルメイクアップアソシエーション認定員。日本大学藝術学部放送学科卒業。プロ・フィット声優活動時)所属。メディカルウィッグのボランティア組織アンジェリック代表。2015年現在、活動休止中。
== 人物紹介 ==
東京都渋谷区生まれ。父は内科学者で、世界的な胃癌治療の第一人者だった医学博士、小黒八七郎(おぐろ やなお)。曽祖父は儒学者、祖父は医師という家系に生まれる。タイ国立がんセンターの設立に伴い家族で渡泰し、幼少時はバンコク日本人学校に通学していた。性格は天然ボケな部分があるものの、基本的に努力家で優しい。また感受性が豊かで涙腺が弱く、ハガキに感動して番組中でも涙ぐんたり、いじめに苦しむリスナーを本気で励まし続け放送終了時間を忘れ、尻切れ番組になったこともある。
ラジオ番組において、レコードを廻しながら一人で放送をおこなう「ディスクジョッキー」ならぬ、トークに重点を置いたトークジョッキーという概念を提唱し、自ら実践した。現在も歌手・作家・声優・メイクセラピストなど多くの活動のなか、パーソナリティとしての活動に重点を置いている。
ラジオ番組では「心と心のキャッチボール」を大切にし、幅広い年齢層のリスナーからマミ姉と呼ばれ、1980年代後半から2001年平成13年)のラジオ情報誌でのDJ人気投票では、11か月連続1位を記録するなど人気も高く、現在でも長きに渡ってリスナーの支持を得ている。『mamiのRADIかるコミュニケーション』は2009年平成21年)10月四半世紀を記録。(放送期間25年間)。『小森まなみのPop'n!パジャマEYE』は17年。
読売新聞の英字紙である「ザ・デイリー・ヨミウリ」では、日本のサブカルチャーの代表として、「ジャパニーズルッキンググラス『Angel of the Airwaves』〜日本を映す鏡・電波の天使 小森まなみ〜」で2週にわたって特集された。
特徴のある声質で、声優としては子供や少女キャラから、『サザンアイズ』のスージン・リュウメイのような低音の悪役、『おやすみポエム』『きんもくせいナイト』のような柔らかい癒しボイスまで幅が広い。ラジオ活動とあいまって、1990年代から声優ラジオが一般化する下地を作った〔『Virtual IDOL』 徳間書店インターメディア 1995年7月20日 p.105〕2007年平成19年)10月よりNHK教育テレビで放送のイギリスの絵本作家ルーシー・カズンズの作品『スイスイ!フィジー!』に出演した。
日本テレビ音楽学院で歌唱ダンスを学んだ高校1年には、音楽ユニット「バーズ」のメンバーに選抜され、全国高等学校サッカー選手権大会イメージソング「ふり向くな君は美しい」をリリース。学校ではフォークソング部に所属。DJになって以後も友人たちと『Nausicäa』というバンドを結成。1983年昭和58年)には秋元康プロデュースによる“業界初の5枚組シングル”で歌手としてもデビューし話題を集める。オリジナルアルバムでは自ら作詞を手がけており、1996年平成8年)8月にリリースされた全曲本人作詞のアルバム『Courage〜クゥ・ラージュ〜』は、オリコン総合チャート初登場25位を記録。初のライブビデオ『BELIEVE』は、オリコン売上6位を記録し、キングレコードよりヒット賞を受賞する。
愛・地球博ナゴヤ球場レインボーホール名古屋城をはじめとするビッグイベントでは数千人を超える動員を記録。『こころのおくすり』『こころが元気になる31のヒント』など本の出版の際に行なわれる書店のサイン会で整理券は即日完売、ベストセラー、ランキングで1位を記録するなど東海地区で絶大な支持がある。
番組や著作物を通じて「夢+努力=現実」を提唱。これは「夢の方程式」とも呼ばれ、小森が特に強調するモットーである。連載エッセイではプロ並みのイラストもこなす。近年では童話の出版や新聞連載など、活動は多岐にわたる。
1995年平成7年)1月17日阪神・淡路大震災時は自ら現地に飛びリサーチ。番組で出来ることを、と救援テレカ支援を企画。累計800万円を超える募金をラジオ関西兵庫県学童保育連絡協議会・あしなが育英会などを通じ5年間に渡り寄付。
2003年平成15年)からはタネを集めて砂漠の緑化に協力する’緑のたまごプロジェクト’を、2007年平成19年)名古屋城の夏フェスからは、ペットボトルのキャップを集めて世界の子供たちにワクチンを贈る“エコキャップレボリューション”を展開した。
また、1997年に逝去した父・八七郎の遺志を受け継ぎ、2006年平成18年)から抗がん剤の副作用に苦しむ人のためにメディカルウィッグ(医療用かつら)通信販売組織「アンジェリック」をボランティアで設立。2006年平成18年)1月より公式サイトを立ち上げた(彼女の実質的な「盟友」でもあり、2004年にガンにより早世した岡崎律子への想いもあるという)。
2011年6月26日に自身の体調不良を理由に、6月末を持って活動休止することを発表した。2012年(平成24年)4月30日にラジオNIKKEIで放送された『「ヤロメロ」35周年記念 公開生放送』に電話出演して以来、公式には声や姿を現していない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小森まなみ」の詳細全文を読む




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