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小此木 八郎(おこのぎ はちろう、1965年(昭和40年)6月22日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(7期)、自民党国会対策委員長代理、自由民主党神奈川県連会長。 経済産業副大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、衆議院安全保障委員長、自由民主党副幹事長(筆頭)等を務めた。 建設大臣、通商産業大臣、自由民主党国会対策委員長等を歴任した元衆議院議員の小此木彦三郎の三男。祖父は元衆議院議員の小此木歌治。 == 来歴 == 神奈川県横浜市中区生まれ。玉川学園高等部、玉川大学文学部卒業。1989年、父・小此木彦三郎の事務所に入所し、彦三郎の秘書を務める〔。1991年、父・彦三郎が死去。翌1992年より渡辺美智雄秘書〔。 1993年、第40回衆議院議員総選挙に旧神奈川1区(定数4)から出馬し、得票数3位で初当選した。1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入により、神奈川3区から出馬。なお父・彦三郎の地盤だった旧1区のうち、神奈川区・鶴見区が含まれる3区からは八郎が、西区が含まれる2区からは同じ彦三郎の秘書経験者である菅義偉が出馬し、菅は選挙区で当選した一方、八郎は新進党の西川知雄に惜敗し、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活した。2000年の第42回衆議院議員総選挙では、神奈川3区で民主党の加藤尚彦、改革クラブの西川知雄を破り、4選。同年、衆議院議事進行係に就任。 2003年、衆議院安全保障委員長に就任。2004年、第2次小泉改造内閣で経済産業副大臣に任命され、第3次小泉内閣まで務める。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、神奈川3区で民主党の岡本英子に大敗し、比例復活もならず落選した。 2012年の第46回衆議院議員総選挙では神奈川3区で民主党の勝又恒一郎、日本未来の党の岡本英子らを破り、2年ぶりに国政に復帰した。当選後、石破茂幹事長の下で副幹事長(筆頭)に起用される。2014年、第47回衆議院議員総選挙で7選。 かねてから石破茂は親しい関係にあり、石破の幹事長就任後、石破を中心に結成された「無派閥連絡会」にも参加していたが、2015年9月に石破が水月会を結成した際は参加せず、「脱派閥」を主張してきた石破による派閥の立ち上げに懐疑的な意見を示した。 2016年2月、自身が会長を務める自民党神奈川県連が、連立政権を組んでいる公明党に対して自民党本部が検討していた、同年の第24回参議院議員通常選挙における神奈川県選挙区(定数4)での公明党公認候補の推薦に反対する方針を決定し、小此木自身も公明党候補の推薦に反対する考えを示した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小此木八郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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