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小池 千枝(こいけ ちえ、1916年4月14日 - 2014年5月28日)は、日本のファッションデザイナー。文化服装学院名誉学院長。 == 経歴 == 長野県須坂市出身。1933年、須坂高等女学校卒業後、文化裁縫女学校(現、文化服装学院)に入学し、卒業後、同学院の助手となる。1940年、商社勤務の男性と結婚し北京へ転勤となるが、1944年には2人の娘を連れて帰国。1945年、夫が沖縄で戦死。1945年、文化服装学院に復帰し、1951年デザイン科を新設し初代デザイン科長に就任。 1954年、38歳のとき母親に娘2人を預けて単身渡仏、南回りの船で1ヶ月かかってパリに留学した。パリ・クチュール組合学校「サンディカ」で学ぶ。クラスメイトにイヴ・サン=ローランが、隣のクラスには、カール・ラガーフェルドがいた。フランスではオートクチュールの立体裁断に衝撃を受ける。1年後、無一文でフランス製の人台(ボディー、トルソー)1つだけ抱えて船で帰国。 帰国後は、日本人に合う立体裁断用の人台(ボディー、トルソー)を開発し、また1957年から文化服装学院として男子学生の入学を開始するなど、ファッション業界の発展に貢献する。文化女子短期大学(現、文化学園大学)教授、文化服装学院副院長を歴任し、1983年、同学院の10代目学院長に就任。1991年より2002年3月まで名誉学院長として活躍した。 文化服装学院では、高田賢三、山本耀司等多くのファッションデザイナーを育成し、日本のファッション界を世界的レベルに押し上げた。その実績から日本ファッション界の“ゴッドマザー”と呼ばれ、日本以外でも“マダム・コイケ”として有名。 故郷、長野県須坂市に世界90数ヵ国の民俗人形1,200体あまりを寄贈し、1997年に須坂市に開館した「小池千枝コレクション・世界の民俗人形博物館」に収められている。 2014年5月28日、死去〔ファッションデザイナーの小池千枝さん死去 高田賢三さんや山本耀司さん育てる 産経新聞 2014年6月2日閲覧〕。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小池千枝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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