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小澤竜己 : ミニ英和和英辞書
小澤竜己[こざわ りゅうき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りゅう]
 【名詞】 1. (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi) 
: [き, つちのと]
 【名詞】 1. 6th in rank 2. sixth sign of the Chinese calendar

小澤竜己 : ウィキペディア日本語版
小澤竜己[こざわ りゅうき]

小澤 竜己(こざわ りゅうき、1988年2月6日 - )は、愛知県名古屋市出身のサッカー選手。ポジションは主にフォワード(FW)
実姉は女優小澤真利奈
==来歴==
3歳からサッカーを始め、小学4年から地元クラブの名古屋FCに所属〔 サンケイスポーツ (2008年12月17日)〕。2003年青森山田高校に進学。1年時から背番号10を背負い〔第84回全国高校サッカー選手権大会特集 注目選手紹介 (archive ) J's GOAL〕 エースストライカーとして活躍。3年生時には主将を務め、同期のFW伊東俊とのコンビで〔第84回全国高校サッカー選手権大会特集 展望・見所 (archive ) J's GOALインターハイを制した。選手権では同期の松本怜と共に優秀選手賞を受賞〔第84回全国高校サッカー選手権大会 優秀選手 Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2006年1月9日)〕。また、2004年にはU-16日本代表としてモンテギュー国際大会に出場し、決勝のイタリア戦でハットトリックを記録、優勝とともに得点王も獲得した。
2006年JリーグFC東京とプロ契約〔 FC東京 (2005年7月4日)〕。同年4月22日のG大阪戦がデビューとなった〔選手出場記録 Jリーグ (2006年12月2日)〕。同年のヤマザキナビスコカップ浦和戦で初の先発出場。MFでの起用となったが、豊富な運動量で〔試合記録 ナビスコ第5節 FC東京 (2006年5月17日)〕 中盤を活性化させた〔ヤマザキナビスコカップ F東京 vs 浦和 レポート Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2006年5月18日)〕。2007年5月、U-20日本代表として同年のU-20ワールドカップ参加メンバーの最終選考の場となったトレーニングキャンプに参加〔 FC東京 (2007年5月11日)〕。しかし、この頃より股関節痛を発症。それでも妥協を許さず練習を続ける姿勢が仇になり〔小沢 リスタート グローインペイン症候群から復帰 東京中日スポーツ (2007年8月3日)〕、後にグロインペイン症候群と診断され離脱〔 FC東京 (2007年6月14日)〕。U-20ワールドカップ出場も逃した。
2008年、試合経験を積むためガイナーレ鳥取期限付き移籍〔 FC東京 (2008年1月11日)〕。チーム最多となる11得点を挙げたが〔チームプレーも意識 FW小沢竜己 (背番号29) 日本海新聞 (2010年6月30日)〕、所属元のFC東京から契約非更新を通知され〔 FC東京 (2008年12月7日)〕、Jリーグ合同トライアウトに参加した〔2008/2009 Jリーグ合同トライアウト15日(月)出場選手一覧 Jリーグ選手協会 2008.12.16付ニュースリリース〕。2009年より、鳥取に完全移籍〔 FC東京 (2009年1月19日)〕。徐々に出場機会を減らし、2010年シーズン終了後、契約非更新となった。
2011年よりブラウブリッツ秋田に完全移籍〔小澤竜己選手移籍先決定のお知らせ ガイナーレ鳥取 (2010年12月30日)〕〔鈴木 健児選手、小澤 竜己選手完全移籍内定のお知らせ ブラウブリッツ秋田 (2010年12月30日)〕。3トップの布陣を採っていたこともあり、サイドでのプレーに取り組んだ。クラブからは契約延長を打診されたものの、これを固辞し〔小澤竜己選手の契約について ブラウブリッツ秋田 2011.12.07〕、同年限りで退団。
2012年より、タイ・プレミアリーグパタヤ・ユナイテッドFCへ加入〔“โค้ชหนุ่ย” ตัดสินใจใส่ชื่อ "ริวกิ โคซาว่า" หอกซามูไร ลุยไทยลีกคนสุดท้าย 09-03-2012 パタヤ・ユナイテッドFC 2012.03.09〕。同年6月に中足骨を骨折。その後、外国籍枠の関係によりパタヤから契約解除の申し出を受け退団した〔J2やJFLよりタイリーグに行くべき? "微笑の国"の知られざる蹴球事情。 NumberWeb (2012年8月15日)〕。
2012年9月、ラトビアヴィルスリーガFBグルベネへ移籍〔小澤竜己選手(元パタヤ・ユナイテッドFC)、FBグルベネ2005(ラトビア1部)へ移籍!! SAMURAI×TPL 2012.09.27〕。
2013年3月、ポーランド・KSグバルディア・コシャリンへ移籍〔Ryuki Kozawa graczem Gwardii KSグバルディア・コシャリン (2013年3月19日)〕。右のサイドアタッカーとして出場を続けた。2014年5月の第28節チェミク・ポリツェ戦でハットトリック達成〔III liga 2013/2014, grupa: pomorsko-zachodniopomorska - Kolejka 28 90minut.pl〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小澤竜己」の詳細全文を読む




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