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小田切 磐太郎(おたぎり いわたろう、明治2年10月3日〔漆崎多四郎『貴衆両院議員名鑑』、1919年、p.14。〕(1869年11月6日) - 1945年(昭和20年)9月22日〔『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』112頁。〕)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士、実業家。官選県知事、衆議院議員。 == 経歴 == 信濃国高井郡須坂〔『長野県歴史人物大事典』164頁。〕(現長野県須坂市)に須坂藩の御用商人、小田切豊太郎の長男〔として生まれる。長野県尋常中学校〔、第一高等学校を経て、1895年、帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業〔。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1896年10月、衆議院属となるが内務省に転じ福島県属に任官〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』175頁。〕。 以後、福島県参事官、山形県書記官、栃木県書記官、茨城県事務官、山口県内務部長などを歴任〔『新編日本の歴代知事』1125頁。〕。 1912年6月、山形県知事に就任〔『新編日本の歴代知事』193頁。〕。1916年4月、沖縄県知事に発令されたが、政争による異動のため赴任せず、翌月に辞任し退官した〔〔。その後、弁護士を務める。また、信濃共栄社長、信濃電気副社長、梓川電力副社長、長野商工会議所会頭などを歴任〔。 1917年4月の第13回衆議院議員総選挙で長野県郡部区に立憲政友会から出馬し当選。第14回総選挙でも当選し、衆議院議員を二期務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小田切磐太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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