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小田和 金貞(おたわ かねさだ - 1971年)は、日本の教育者,倫理学者。都留文科大学創設の中心的役割を果たした人物であり,同大学の副学長・文学部長をつとめた。。 == 略歴 == 山梨県生まれ。山梨県立臨時教員養成所卒業,都留郡の小学校教員を勤める。さらに東京高等師範学校を経て東京文理科大学に進学し,卒業後は山梨県内の中学校教員となる。 1953年,新たに谷村高等学校内に設置された山梨県立臨時教員養成所の教務課長兼専任教員として採用された。都留短期大学教授(教務部長),都留文科大学副学長,文学部長を歴任する。また学長不在期間は,学長事務取扱として学長職務を代行した。 廃止の決まっていた教員養成所の短期大学化,4年制大学化を主導して実現させた。さらに病気療養のためあまり大学に出てこれなかった,友枝高彦・諸橋轍次両学長にかわり実質上,大学運営の全権を担っていた。 しかし,次第に創立以来の小田和中心の大学運営体制には教員・学生から大きな反発を生み,「都留文科大学事件」とよばれる大学紛争を引き起こすことにつながった。1963年,その責任をとる形で同大学を退職。 退任後は山梨県立図書館の館長をつとめた。1971年死去。専門分野は倫理学。担当科目は都留短期大学・都留文科大学を通して全学必修であった倫理学と教育原理。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小田和金貞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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