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小田茶臼塚古墳(おだちゃうすつかこふん)は、福岡県朝倉市小田572番地にある古墳時代中期(5世紀)の前方後円墳。国の史跡(1979年(昭和54年)9月4日指定)。 == 概要 == 筑後平野東端部、筑後川支流の佐田川右岸に位置する。 地元では古くから知られており1798年(寛政10年)の加藤一純・鷹取周成著『筑前国続風土記附録』や1863年(文久3年)の青柳種信著『筑前国続風土記拾遺』でも触れられている。 1928年(昭和3年)に道路建設により南東部の後円部の一部が破壊され、玄室が開口した。この道路建設の際に当時の朝倉中学校(現・朝倉高等学校)の一教師が調査を行い、出土した副葬品の多くが現在でも同校で保管されている。その後、墳墓の残った部分は長い間放置されていたが、1974年(昭和49年)から翌1975年(昭和50年)に朝倉高校史学部OBが墳墓と出土品の調査研究を行い、1978年(昭和53年)に当時の甘木市教育委員会が本格的な発掘調査を実施した。 墳丘全長54.5 m 、後円部径39.7 m 、前方部長さ14.5 m 、前方部幅25 m 、くびれ部幅14.5 m 、後円部高さ5 m 、総全長63 m 、前方部高さ3 m で、前方部が北向きであった。墳墓の周囲に幅約4 m 、深さ約0.6 m の濠があった。後円部には全長4.5 m の南西方向に開口した横穴式石室があり、玄室の長さは3.5 m 、幅2.2 m - 1.9 m 、高さは1.6 m 。 1928年の道路建設時には石室内から横矧板鋲留短甲、衝角付冑、肩甲、刀子、鉄矛2本、鉄鏃一束、管玉8個、ガラス丸玉226個、小玉161個、鉄器5個が出土し、別の場所からは馬具、四環鈴、石製杵、須恵器の大甕、大形器台片が採集されている。1978年の発掘調査では墳丘から古式須恵器と埴輪が出土している。 1979年9月4日に国の史跡に指定された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小田茶臼塚古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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