|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 小石 : [こいし] 【名詞】 1. pebble ・ 石 : [こく, いし] 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) ・ 川 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream ・ 工 : [たくみ] 1. (n,adj-na) (1) workman 2. artisan 3. mechanic 4. carpenter 5. (2) craft 6. skill 7. (3) means 8. idea ・ 工場 : [こうじょう, こうば] 【名詞】 1. factory 2. plant 3. mill 4. workshop ・ 場 : [ば] 【名詞】 1. place 2. field (physics)
小石川車両基地(こいしかわしゃりょうきち)は、東京都文京区にある東京地下鉄(東京メトロ)の車両基地および車両工場の総称である。車両基地の中野検車区小石川分室(なかのけんしゃくこいしかわぶんしつ)、車両改修工場の車両工事所小石川CR(しゃりょうこうじしょ こいしかわ カーリニューアル<Car Renewal>)から構成される〔東京地下鉄「東京メトロハンドブック2011」参照。〕。最寄り駅は丸ノ内線茗荷谷駅。 == 概要 == 戦後に路線計画が修正決定された地下鉄第4号線(丸ノ内線)においては、1944年(昭和19年)より営団地下鉄が中野富士見町地区に同線用の車庫用地(現在の中野車両基地)を確保していた。 しかし、丸ノ内線の着工時に同区間への路線免許は下りず、同線は池袋方面から着工された。このため、山手線圏内に車両基地用地の確保を進めたところ、茗荷谷地区が適当な場所とされた〔帝都高速度交通営団「営団地下鉄五十年史」参照。〕 。この付近は大地の谷間に位置し、丸ノ内線建設工事で発生した残土により、埋め立てながら同線の開業に間に合うよう建設・造成された。 しかし、。その後、用地買収が進行し、当初計画の必要な用地が確保され、工場設備の新築や仮の設備を本設する工事を行い、1955年(昭和30年)9月に60両分の車両基地が完成した。 その後、丸ノ内線東京開業後は予想を大きく超える乗客数により、中野検車区開設までの車両数は大きく増加することが予想された。そして、同線の1959年(昭和34年)の新宿延伸時には車両数が140両にも達することになった。 このため、後楽園駅構内に留置線を設置し、さらに小石川地区の1万m²にも及ぶ用地買収を進め、敷地内の有効活用の観点から立体工場を建設することになった。拡張工事は1958年(昭和33年)7月から開始され、高架橋を築造して検車区や事務所を移転収容し、さらに移転後に立体工場を築造した〔。 この立体化工事は1962年(昭和37年)8月に完成し、車両基地全体に立体車庫化工事を施工した。これは工場設備を南側の谷部に設置し、その上部を北側の線路と同一レベルとして、工場設備の屋上部を留置線として活用する形態であり、収容数は約100両へと増加した。 このため、工場への入場車両は4階から入場後、クレーンにより9.8m下にある1階の作業場へ移動し、検査業務を行うという珍しい形態となった。 なお、小石川検車区(こいしかわけんしゃく)は、2011年度に中野検車区に組織統合され、中野検車区小石川分室となった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小石川車両基地」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|