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小笠原事件(おがさわらじけん)は、1945年(昭和20年)に小笠原諸島父島において日本の陸海軍高級幹部が、アメリカ軍航空部隊の搭乗員である捕虜8名を処刑し、そのうち5名の人肉を嗜食した事件〔GHQ法務局調査課報告書(INVESTIGATION DIVISION REPORT,LEGAL SECTION,GHQ/SCAP)137号 388号 392号 2704号〕。父島人肉食事件とも。 当時の父島は住民を疎開させた上で要塞化(父島要塞)されており、陸軍の立花芳夫陸軍少将以下の混成第1旅団(3月に第109師団に改編、立花は陸軍中将に昇進し同師団長〔事件当時は第109師団隷下の混成第1旅団。硫黄島に置かれていた同混成第2旅団を基幹とする栗林忠道陸軍大将(兼第109師団長)の小笠原兵団が硫黄島の戦いにおいて玉砕後、小笠原に残された混成第1旅団は3月23日に第109師団に改編。〕)と、海軍の森国造海軍少将以下の父島方面特別根拠地隊(5月に森は海軍中将に昇進)が駐留していた。 本事件はそれら立花・森両将官および、独立歩兵第308大隊長的場末男陸軍少佐・父島方面特別根拠地隊通信隊司令吉井静雄海軍大佐といった、日本陸海軍の守備部隊において高級幹部として要職にある者が主犯となり犯した戦争犯罪である。大戦末期、補給が崩壊し餓死・病死者の続出する飢餓状態に陥った各南方戦線(ニューギニア戦線・ビルマ戦線・フィリピン戦線等)において、生存する為に戦死した友軍・敵軍将兵の人肉をやむを得ず食した事例は存在するものの、本件はそれらとは大きく性格が異なる事件であった。舞台となった父島は空襲のみで地上戦はおきておらず、現地自活が営まれ食糧事情は極端には悪くなく補給はある程度確立されており、人肉嗜食は恵まれた立場に居る陸海軍幹部が酒宴の場にて敵愾心高揚・士気高揚を目的とし行ったものであった。 == 事件 == 1945年2月、まずは末吉実郎海軍大尉が的場陸軍少佐を経由して入手した捕虜を海軍において処刑、的場陸軍少佐らが独歩308大においてこの遺体を大隊附軍医に解体させ摘出した肝臓等を嗜食。同月、新しく捕虜となった2名の内、1名は陸軍にて立花陸軍中将の旅団長命令によって処刑・嗜食、もう1名は海軍にて処刑され吉井静雄海軍大佐らが特根通信隊において肝臓等を嗜食。また、23日には1名を立花陸軍中将の依頼により海軍において処刑・嗜食。 後の証言によれば、立花は米兵の手足の肉や内臓を食べると、「これは美味い。お代わりだ!」と喜んだという。 第109師団参謀として司令部のある硫黄島から父島に派遣されていた堀江芳孝陸軍少佐は、立花らの素行にかねてから不安を感じており、捕虜の将校を自分の英語教師として身近に置くことで守っていたが、3月26日、外出後に戻るとすでに処刑され森海軍中将・的場陸軍少佐らによって喰われた後であった。 的場陸軍少佐の部下の供述調書によると、犠牲者の一人であるウォーレン・アール・ボーン(Warren Earl Vaughn)中尉の処刑・嗜食時に的場が発した命令は次の通り〔秦郁彦『昭和史の謎を追う』下 p265〕。 * 一、大隊は米人飛行家ボーン中尉の肉を食したし * 二、冠中尉は此の肉の配給を取り計らうべし * 三、坂部軍医は処刑に立会い、肝臓、胆嚢を取り除くべし : 1945年3月9日 午前9時 大隊長 陸軍少佐的場末男 : 発令方法…冠中尉並に坂部を面前に呼び口頭命令、報告は立花旅団長へ、通告は堀江参謀へ 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小笠原事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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