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小笠原 安次(おがさわら やすつぐ、天文2年(1533年) - 天正10年9月25日(1582年10月11日))は、戦国武将。小笠原安元の長男。兄弟に左太夫、喜三郎安勝。娘に牧野康成室。息子に康広(長男)、小五郎安勝(次男)、広勝(三男)。幡豆小笠原氏。 徳川家康に仕え、永禄12年(1569年)遠江国掛川城攻め、元亀元年(1570年)、姉川の戦いに参戦する。元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦いにも参戦するが辛酸を極め、長男の康広が戦死し、次男の安勝は重傷を負う。その後も高天神城の戦い、長篠の戦いと戦い、天正10年(1582年)伊豆国三島で北条氏と戦って討ち死にする。三男の広勝が跡目を継ぎ、天正18年(1590年)上総国周准郡に移った。享年50。法名は玄勝。 == 参考 == *『寛政重修諸家譜 巻第202』 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小笠原安次」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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