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小笠原 忠幸(おがさわら ただゆき、1915年(大正4年)10月27日- 1993年(平成5年)1月23日)は播磨安志藩忠脩系・旧子爵小笠原家第十四代。小笠原伯爵家第三十代当主小笠原長幹二男で小笠原長丕養子。霞会館会員。 兄に忠春(宗家を継ぎ第三十一代当主となるがのちに分家)、弟に忠統(第三十二代当主)、妹に鞠子(伊達興宗夫人)他。子に長保、佑子、ひろ子。 == 生涯 == 1915年(大正4年)10月27日、伯爵家小笠原長幹の二男として生まれる。 誕生当時、分家である子爵小笠原家は貞孚のあと継承者が無く、長幹の実弟長丕が養子となり継承されていたが、その長丕にも嫡子がなく、甥である忠幸が子爵小笠原家第十四代を継承した。 実業家・西脇健治と出羽庄内藩第十二代藩主酒井忠宝の三女・淑子を父母とする史子と結婚、嫡子長保らを得る。嫡子・長保、実弟・忠統と協力し、国際交流基金などと連携し、海外への日本文化の紹介・交流に尽力した。 1993年(平成5年)1月23日没。行年77歳。 戒名は瑞松院殿忠山宗幸大居士、墓所は東京都練馬区の廣徳寺(臨済宗大徳寺派)。 小笠原長次を初代とする旧子爵小笠原家は第十五代・長保に継承された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小笠原忠幸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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