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小笠原 章二郎(おがさわら しょうじろう、1902年7月26日 - 1974年11月10日)は日本の俳優。本名は小笠原 長英(おがさわら ながふさ)。 == 来歴・人物 == 旧唐津藩主子爵小笠原氏第六代当主小笠原長生(小笠原賢之進・元海軍中将・元宮中顧問官・元学習院御用掛)・秀子(元前橋藩主伯爵松平直方の長女)の次男として東京府東京市に生まれる。学習院初等科・学習院中等科を経て、学習院高等科卒業。 日本映画黎明期の大正時代、兄の小笠原明峰(小笠原長隆)が設立した小笠原プロダクションの専属となり、1921年に芸能界入り。兄の明峰は長生の長男であり、第七代当主となる立場であったが、映画監督となったため廃嫡。章二郎も俳優となっていたため、家督は四男の小笠原長勝(1920年 - 1994年)が継承した。 デビュー当初の芸名は「楠英二郎」だったが、昭和時代に入り「小笠原章二郎」に改名。映画『松平長七郎』(1929年、日活) や『猿飛佐助 恋愛篇』(1930年、日活)などに主演。また1930年には、東郷平八郎や父の小笠原長生らが参戦した日本海海戦を描いた映画『撃滅』に長生役で出演、戦前は二枚目俳優として知られた。戦後は端役まで数多くの作品に出演し、テレビ放送が始まるとテレビドラマにも出演、晩年の1970年代まで活動した。一方、三好英芳(三善英芳)の名で映画監督も務めた。 映画『和蘭囃子』(1954年、新東宝)では、顔を白塗りにした殿様をコミカルに演じた。この演技が、後世の志村けんのコント『志村けんのバカ殿様』に繋がる「バカ殿」の原型になったいわれる。 ピンク映画に数多く出演した女優松井康子(牧和子)は姪(妹・宏子の娘)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小笠原章二郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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