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小笠原 長雄(おがさわら ながかつ)は、戦国時代の武将。名は「ながたか」とも。 == 生涯 == 石見小笠原氏の一族で、大内氏・尼子氏・毛利氏に仕えた。石見邑智郡川本温湯城主である。祖父に小笠原長隆、叔父に刺賀長信。 永正17年(1520年)、小笠原長徳の子として生まれる。はじめ大内義隆に従属する。天文16年(1547年)の父の死去により、家督を継いで当主となる。天文17年(1548年)には石見に進出して石見銀山を占領する。天文20年(1551年)、大内義隆が死去すると尼子晴久に仕えた。 永禄元年(1558年)、降露坂の戦いで毛利元就の攻撃を受けて温湯城を攻められる。このとき、晴久の援軍を受けたが毛利氏の攻撃はなおも続き、遂に永禄2年(1559年)8月、小早川隆景の仲介を受けて毛利元就に降伏して家臣となった。その際に元就は小笠原氏の所領を江の川の北側へ移し、温湯城のある川本をはじめとした小笠原氏の本領の半分は吉川氏に与えられた。永禄5年(1562年)より長雄は甘南備峰山に移り、その後の毛利氏の尼子氏攻めに従い出雲国へ出陣する。 元亀元年(1570年)に三原丸山城を築き、同年に死去。享年51。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小笠原長雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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