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小船 幸次郎(こぶね こうじろう、1907年4月4日 - 1982年2月17日)は日本の作曲家、指揮者である。 == 人物 == 横浜市に生まれた。出生時の名は幸太郎〔創立者・指揮者・作曲家 小船幸次郎 横浜交響楽団オフィシャルサイト〕。父が横浜の羽衣座という演芸場に関係していたので、幼時は日本音楽と演劇が身近な環境に育った。18歳の頃に作曲を志して独学し、1936年、30歳の時にアレクサンドル・チェレプニンに指導を受けたのみである。指揮法は15歳の頃より独学し、1937年にローゼンシュトックに師事した。 1938年、第6回毎日音楽コンクールに《序曲第1番》が第1位入選、同年新響第2回邦人作品コンクールに《祭りの頃》が入選、日本放送協会募集管弦楽に《組曲第1番》が入選した。1939年には《弦楽四重奏曲第1番》(1936年)が第17回国際現代音楽祭に入選し、ポーランドで行われた音楽祭で演奏された。 1939年、日伊協会より選ばれてイタリアへ留学し、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院に入学し、指揮法をベルナルディーノ・モリナーリについて学ぶ、同年秋、ポーランドのワルシャワでワルシャワ交響楽団、またローマ放送局、ヘルシンキ放送局の交響楽団を指揮して、現代日本の管弦楽曲の紹介演奏をした。ヨーロッパ滞在中はマリピエロ、シベリウスと会見、帰国後は新交響楽団を中心に指揮者として活躍した。 1932年に八十島外衛らと共に新交響楽団を離れ、横浜交響楽団の旗揚げに踏み切った〔。 1943年12月より3ヶ月間、新交響楽団の招聘により満州へ渡り、演奏向上を図った。 戦後は新作曲派協会に加盟して作品発表を行い、また横浜交響楽団の指揮者及び横浜国立大学講師、PL学園女子短期大学教授を務めた。 また夫人がギター奏者であった関係から、《ソナチネ》などのギター独奏曲を作曲し、1959年からは東京ギターアカデミーを主宰した。《ギター和声学》《ギターのための楽典》の著書がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小船幸次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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