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小野庄造 : ミニ英和和英辞書
小野庄造[おの しょうぞう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 

小野庄造 : ウィキペディア日本語版
小野庄造[おの しょうぞう]

小野 庄造(おの しょうぞう、1877年明治10年)2月12日〔『日本陸軍将官辞典』 193頁。〕 - 1938年昭和13年)9月6日〔『毎日新聞別冊 日本人名選』 大阪毎日新聞社、1939年。〕)は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍少将。第5代岡崎市長
== 経歴 ==
愛知県額田郡伊賀村(現・岡崎市)に生まれる〔『新編 岡崎市史 総集編 20』 115頁、304頁。〕〔『日本の歴代市長 第二巻』 462頁。〕。1899年(明治32年)に陸軍士官学校を卒業した後は、歩兵第33連隊に属し、1902年(明治35年)には陸軍大学校に入学した。陸軍大学校在学中に日露戦争が勃発し、第3師団に属して出征し、負傷した。1907年(明治40年)、陸軍大学校に復学し、翌年に卒業した。卒業後は参謀本部に勤務するかたわら、山県有朋元帥の副官を務めた。1910年(明治43年)、少佐に昇進するとともに、イギリスフランスドイツに留学し、飛行機自動車の調査にあたった。帰国後は陸軍歩兵学校の教官となり、中佐に進んだ。日独戦争では青島守備軍高級副官を務めた。1919年大正8年)、大佐に昇進し、堺連隊区司令官、歩兵第47連隊長を歴任した。
1923年(大正12年)8月、少将に任官されると同時に予備役に編入された〔。退役後は郷里に戻り、1928年(昭和3年)10月5日、岡崎市会議員に就任した〔『岡崎市戦災復興誌』 252頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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