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小野 新二(おの しんじ、1952年 - 1995年)は、日本の漫画家。本名は吉村竜正。 == 概要 == 1971年にあだち勉のアシスタントとなり、後にあだち勉の実弟であるあだち充の元でチーフアシスタントを務める。アシの後輩には服部かずみがいた。 1978年に『週刊少年マガジン』にて『まぶしい夏がとおりすぎる』でデビュー。なお投稿した第20回週刊少年マガジン新人漫画賞の審査の段階では入選が確実と言われ、100万円の賞金とステレオコンポを獲得できるはずだったところを、同じ賞に投稿した小林まことの『格闘三兄弟』にその座を奪われてしまった。その為に自身は佳作にとどまり、10万円の賞金とテレビゲームしかもらえなかったと言うエピソードがある。これを機に小林と親交を深める。『青春少年マガジン』による小林の視点では、小野の口癖は「へっへっへ…」と「どうせ俺は10万円とテレビゲームだけだからな」。 『週刊少年マガジン』の『純のスマッシュ』で初連載を持ち、その際に週刊連載であるにもかかわらず、同じ時期に連載デビューした小林や大和田夏希と頻繁に会うようになり、巻末コメントでのやり取りから、3バカトリオと呼ばれるようになる。小林と大和田は誌中で中傷合戦を繰り広げて読者を楽しませたが、小野はそうした楽屋落ちに甘えずに描いていた。また連載開始一年未満で結婚、娘を一人さずかっている。この時の結婚式の二次会で働いていた女性が、後に小林の妻となった。 良くも悪くもガンコな一面があり、来た仕事は全部引き受けているとのことで、『週刊少年マガジン』の他に『月刊少年マガジン』『ヤングマガジン』でも連載を持っていた時期があり、その忙しさとストレスからか、次第に身体が蝕まれていくようになり、酒の飲みすぎで肝臓に異常を示し、リューマチで指の一部や片足も動かなくなる。家族や友人に病院へ行くよう薦められるが、仕事を続け、ようやく一段落して入院したときは既に手遅れであった。親友だった大和田が自殺したわずか1年後、肝機能障害により死去。コンビを組んだ漫画原作者の史村翔は「あいつは本当に天才だった」とコメントを残した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小野新二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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