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小野 春風(おの の はるかぜ、生没年不詳)は、平安時代の官人・歌人。従五位上・小野石雄の子。子に小野清如がいる。官位は正五位下・右近衛少将。 == 経歴 == 仁寿4年(854年)右衛門少尉、天安2年(858年)右近衛将監、貞観6年(864年)武蔵介を歴任する。 貞観12年(870年)正六位上から従五位下に昇叙、対馬守に任ぜられる。対馬守在任時に、甲冑の防御機能を強化するための保侶衣1000領、及び兵糧を携帯するための革袋1000枚の必要性を朝廷に訴え、大宰府に保管されていた布でこれらが製作された。同年さらに肥前権介を兼任する。のち、左近衛将監に転じたものの讒言を受け免官となる。 元慶2年(878年)3月に元慶の乱が勃発すると、出羽権守として夷俘討伐を担うこととなった藤原保則の推挙により、同年6月鎮守府将軍に任ぜられ、陸奥権介・坂上好蔭とともに精兵500人と甲冑一揃えを与えられ、陸奥国から秋田城へ救援に向かう。春風は防具・武器を脱ぎ捨て単身で夷俘の中に乗り込み、夷語を用いて降伏を促すなど、硬軟取り混ぜた対応により乱を収めた。 元慶6年(882年)には従五位上に叙せられ、仁和3年(887年)大膳大夫次いで摂津権守、翌仁和4年(888年)左衛門権佐、寛平2年(890年)右近衛少将次いで陸奥権守、翌寛平3年(891年)讃岐権守と主に武官と地方官を歴任した。昌泰元年(898年)には正五位下に叙せられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小野春風」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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