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小野 毛野(おの の けぬ、生年不詳 - 和銅7年4月15日(714年6月1日))は、飛鳥時代後期から奈良時代にかけての公卿。大徳冠・小野妹子の孫。冠位は小錦中・小野毛人の子〔『続日本紀』和銅7年4月15日条〕。官位は従三位・中納言。勲等は勲三等。 == 経歴 == 持統天皇9年(695年)遣新羅使(大弐は伊吉博徳)に任ぜられ〔『日本書紀』持統9年7月26日条〕、新羅へ渡航(この時の冠位は直広肆)〔『日本書紀』持統天皇9年9月6日条〕。帰国後も文武天皇4年(700年)に筑紫大弐に任ぜられるなど、外交関係の官職を歴任した。 大宝2年(702年)大宝律令の制定に伴い従四位下に叙せられるとともに、参議に任ぜられ朝政に参画する。和銅元年(708年)中納言に昇進し、翌和銅2年(709年)従三位に至る。和銅7年(714年)4月15日薨去。最終官位は中納言従三位兼中務卿。 1997年(平成9年)4月11日に奈良県天理市で、慶雲4年(707年)に小野毛野が文武天皇の病気治癒を祈念して建立したとされる願興寺の跡が発見された 。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小野毛野」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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