翻訳と辞書
Words near each other
・ 小野里光博
・ 小野重行
・ 小野野主
・ 小野金次郎
・ 小野鉄工所
・ 小野錦
・ 小野錦仁三郎
・ 小野錦仁之助
・ 小野錦喜三郎
・ 小野鎮幸
小野鑑子
・ 小野門跡
・ 小野関舞
・ 小野陣屋
・ 小野陶子
・ 小野隆儀
・ 小野隆助
・ 小野隆史
・ 小野隆太郎
・ 小野隆弘


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

小野鑑子 : ミニ英和和英辞書
小野鑑子[こ, ね]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [かがみ]
 【名詞】 1. model 2. pattern
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

小野鑑子 ( リダイレクト:関鑑子 ) : ウィキペディア日本語版
関鑑子[せき あきこ]

関 鑑子(せき あきこ、1899年(明治32年)9月8日 - 1973年(昭和48年)5月2日)は昭和期の声楽家。本名小野鑑子。
== 経歴 ==
東京出身。東京音楽学校声楽科卒業。立花ふさハンカ・ペツォールドに師事し、ソプラノ歌手になったが、大正末期からプロレタリア芸術運動に参加。
1926年(大正15年)、新劇俳優の小野宮吉と結婚。1929年(昭和4年)、プロレタリア音楽家同盟に参画し、初代委員長になる。しかし、この運動は昭和初期に入って弾圧を受け一時消滅。
1948年(昭和23年)、中央合唱団を創立。
1951年(昭和26年)、音楽センター主宰者になって「うたごえ運動」を展開する〔日本人名大辞典+Plusの解説 〕。この運動は、コーラスによる平和運動として全国に広がり、1954年(昭和29年)には3万人の大集会に発展した。この運動の余波として、東京の新宿を中心に「うたごえ喫茶」、「うたごえ酒場」が隆盛した。
1955年(昭和30年)、スターリン平和賞(翌年にレーニン平和賞に改称)受賞。
1973年(昭和48年)5月1日メーデー集会の壇上で倒れ、翌2日にくも膜下出血のため死去。享年73。
カチューシャ」「モスクワ郊外の夕べ」「全世界民主青年歌」「ウラルのぐみの木」など、ロシア語歌曲の訳詞を多く手がけている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「関鑑子」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.