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小鳴門橋(こなるとばし、)は、小鳴門海峡に架かる全長441.4m・最大径間160m〔1962年9月に若戸大橋が完成するまでは、当橋梁が日本最長の径間を有す吊り橋であった。〕・幅員7m(2車線)・高さ23.5mの吊り橋である。主塔が3組の4径間吊り橋という珍しい形式である。 中央の主塔は海峡中の鍋島に設けられ、横から見るとAの字形をしている。 徳島県鳴門市の撫養町大桑島(四国)と鳴門町土佐泊浦〔当橋梁の北詰め付近に位置する土佐泊は、土佐日記を書いた紀貫之が京へ戻る際に立ち寄った場所である。〕(大毛島)を結ぶ。徳島県道11号鳴門公園線が通る。 == 概要 == 神戸・鳴門ルートの実現をPRする目的で、また鳴門公園へ至る観光道路として計画された当橋梁は、1959年11月に起工し、1961年7月に開通した。 まだ本州と四国を結ぶ本州四国連絡橋の実現性が疑問視されていた時に、徳島県単独で橋を架けたという実績は、国に対するアピールとなった。 開通式には、本四架橋や神戸市のまちづくりに尽力したことで有名な原口忠次郎(当時の神戸市長)も訪れた。 総工費は約3億4千万円で、そのための資金を関西電力および四国電力が徳島県に貸し出したとのことである。これを返還するために当初は有料道路の形で供用されていたが、1977年に無料開放された。 その後、1987年に撫養橋(当橋梁の約50 m東側に並行)が開通する迄の間、当橋梁が淡路島と四国を結ぶ役目を果たしていた。 また、橋のたもと(四国側)には小鳴門橋バスストップがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小鳴門橋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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