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尚 順(しょう じゅん、1873年5月2日- 1945年6月17日)は、最後の琉球国王・尚泰王の四男。男爵で貴族院議員。琉球新報、沖縄銀行(日本の華族界における十五銀行(別名、華族銀行)に相当する銀行で、現在の沖縄銀行とは無関係)の創立者。 == 生涯 == 尚順は、明治6年(1873年)5月2日(旧暦4月6日)、尚泰王の第四王子として生まれた。母は松川按司。松山王子、松山御殿(まちやまうどぅん)と呼ばれた。雅号は鷺泉。室は真子(伊是名朝睦長女)。 琉球処分に伴い父と共に7歳で上京、明治25年(1892年)、20歳の時に兄の尚寅と共に帰郷した。その後、翌年の明治26年(1893年)、太田朝敷、護得久朝惟、豊見城盛和、高嶺朝光らと共に琉球新報を設立し、明治32年(1899年)には沖縄銀行を設立した。他にも沖縄広運の設立、桃原農園を設立しパイナップルなどの果樹、観賞用植物等を移入した。 1904年(明治37年)7月、貴族院男爵議員に選出され〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』74頁。〕、1915年(大正4年)6月19日に辞職した〔『官報』第866号、大正4年6月22日。〕。 松山御殿は敷地約4千坪あり、家族16人、使用人20数名で暮らしていた。尚順には6人の男子と10人の女子がいたが、沖縄戦で本人、妻、長男一家、三男、四男、孫の尚忠昭、尚忠正が亡くなった。享年72。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尚順」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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