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尤袤[ゆう ぼう]
尤 袤(ゆう ぼう、1125年(宣和7年) - 1194年(紹熙5年))は、中国・南宋時代の高官・詩人。字は延之。范成大・陸游・楊万里とならび、南宋四大家と称される。 == 略伝 == 常州無錫(江蘇省)の出身。若いときから文才があり、律詩に長じていた。太学に入り、1148年に進士となる。その後、政治の才能を見いだされて、淮東・江東などの提挙常平使から累進し、太常少卿となった。高宗が崩じると礼官とともに「高宗」という廟号を決定した。礼部侍郎に修国史侍講を兼ね、孝宗期の終わりには権中書舎人に直学士を兼ね、大いにその才識を期待された。しかし、高官の昇進が法に適わないことを指摘して周必大の党とみなされ斥けられ、一時は退官したが、1190年に知婺州となり知太平州をへて、給仕中・礼部尚書へと昇進した。光宗が心疾篤く、政治を顧みないことを憂え、自らも病を得て没する。金紫光禄大夫を追贈された。1212年に寧宗により文簡と諡された。
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