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尹 尊(いん そん、生没年不詳)は、中国の新代から後漢時代初期における武将。 == 事跡 == 更始帝(劉玄)配下の武将だが、出身母体は不明である。 更始2年(24年)、尹尊は功臣の1人として更始帝から郾王に封じられ、そのまま封土の郾(頴川郡)に赴いた。翌更始3年(25年)9月に更始帝が赤眉軍に滅ぼされても尹尊は降伏せず、群雄の1人として自立を保った。なお、同年に洛陽の朱鮪が光武帝(劉秀)に降伏する際には、万が一自分が殺された場合は尹尊に降れ、と部下に指示している〔結局は、光武帝は朱鮪を礼遇したため、そのまま洛陽の部下も光武帝に降っている。〕。 建武2年(26年)の時点でも、尹尊の勢力は健在であった。そのため、光武帝が諸将の軍議において「郾は最強であり、宛(南陽郡)〔当時の宛は、董訢が支配している(『後漢書』堅鐔伝)。〕はこれに次ぐ。誰がこれを撃つのか」と激して問うている。この時、執金吾賈復が「郾を撃たせてください」と申し出る。光武帝は喜んで賈復に尹尊を攻撃させ、宛には大司馬呉漢を派遣した。 こうして賈復は、騎都尉陰識、驍騎将軍劉植を率いて郾に進攻してくる。尹尊はこれを迎撃したが、連戦連敗し、わずか1月余りであっけなく降伏した。その後の尹尊の行方は不明である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尹尊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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