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尼子再興軍による鳥取城の戦い(あまごさいこうぐんによるとっとりじょうのたたかい)は、天正元年8月から9月(1573年8月から10月)にかけて、山中幸盛ら率いる尼子再興軍と、毛利方の国人・武田高信率いる武田軍との間に起こった攻城戦である〔『因幡民談記』国主之部「鹿之助鳥取城責事、附高信降参、豊国住鳥取城移事」。『陰徳太平記』巻第四十八「山中鹿助鳥取の城を攻 付 高信降参の事」。『太閤記』巻十九「鹿助度量広く武勇にかさ有事」に記載あり。〕。この戦いによって武田氏は、居城である鳥取城を奪われて没落する。 == 戦いまでの経緯 == 元亀3年3月~4月(1572年2月~3月)、出雲国における尼子家再興活動(第一回尼子家再興)に失敗した山中幸盛は、再び尼子家の再興を図るため但馬の地に潜伏していた。 元亀4年初頭(1573年2月)、幸盛はこの地で尼子旧臣らを招集すると、但馬国から因幡国へ攻め込み桐山城を奪取する。幸盛ら尼子再興軍は、この桐山城を拠点として西進し出雲国を目指したものと思われる。 この当時、因幡の実質的な領主は武田高信であった。高信は、尼子再興軍が勢力を伸ばし、自らの居城である鳥取城にほど近い甑山城(こしきやまじょう)に拠点を移すと、尼子再興軍の討伐を決定する。 天正元年8月1日(1573年8月28日)、高信は尼子再興軍を討伐するため、兵を率いて甑山城を攻めるが大敗する(鳥取のたのも崩れ)。 この戦いに勝利した尼子再興軍は、以前に高信に敗れて因幡領主の座を追われた山名豊数の弟・山名豊国を味方につけると、高信の討伐を決定する。 同年8月、幸盛ら尼子再興軍は、約1,000の兵を率いて高信が籠もる鳥取城へ進軍した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尼子再興軍による鳥取城の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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