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尼子 清定(あまご きよさだ)は、室町時代から戦国時代にかけての武将。出雲守護代、月山富田城主。尼子持久の子。幼名は又四郎。主君・京極持清より偏諱を授かって諱を清定(表記は清貞とも)と称す。妻は出雲仁多郡の土豪真木朝親の娘。家系は佐々木氏の傍流にあたる京極氏の分家尼子氏で清定は3代目にあたる。 父から出雲守護代を引き継いだのは応仁元年(1467年)頃とみられる。応仁の乱勃発により守護京極氏の支配が急速に衰退、松田氏や三沢氏ら国人領主に反京極氏の気運が巻き起こったが清定はこれを鎮圧、山名氏の出雲侵入を撃退した。この勲功により持清から能義郡奉行職や幕府御料所である美保関代官職を与えられる。清定はこれを機に出雲東部での勢力を強め、文明6年(1474年)頃から公用銭の上納を怠るなど、独立の動きを見せるようになる。長享元年(1488年)死去、享年78。 晩年の記録は少ないが、『雲陽軍実記』には「牢人の身となり、漂泊流浪のうちに病死す」とある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尼子清定」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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