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尾崎局(おざきのつぼね、大永7年(1527年)- 元亀3年(1572年))は、戦国時代の女性。大名毛利隆元の正室。内藤興盛の娘。毛利輝元、津和野局(吉見広頼室)を生む。別名は小侍従とも。法号は妙寿。 == 生涯 == 尾崎局は、大内氏家臣で長門国守護代内藤氏の当主内藤興盛の息女として生まれた。主家の大内義隆の養女となる形で当時の有力被官で安芸国の国人領主毛利元就の嫡男隆元の正室として嫁した。 毛利家中では、守護代という格上の家から迎えた正室として厚遇されるに留まらず、大内氏との外交の窓口としての役割も果たした。隆元との間には、嫡男で後に家督を相続する毛利輝元と吉見広頼の正室・津和野局が生まれた。 弘治3年(1557年)に大内氏が滅亡し、永禄6年(1563年)に隆元が急死した後も、幼少の輝元の教育に力を注いだ。元亀2年(1571年)に元就が没したときに、輝元の叔父の吉川元春・小早川隆景に輝元の後見を依頼した書状が現存している。 翌元亀3年(1572年)に45歳で死去。墓所は広島県安芸高田市の洞春寺跡。毛利元就ら毛利一族と共に葬られている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尾崎局」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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