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尾張国分寺(おわりこくぶんじ)は、愛知県稲沢市矢合町(やわせちょう)にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は鈴置山。本尊は薬師如来。 奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、尾張国国分僧寺の後継寺院にあたる。本項では現寺院とともに、古代寺院跡である尾張国分寺跡(国の史跡)と、尾張国分尼寺についても解説する。 == 概要 == 現在の国分寺は明治19年(1886年)に「円興寺」から改称した寺院で、創建期の国分寺跡からは北約900メートルに位置する。この円興寺の創建には諸説があり、永和元年(1375年)に大照の開基とも、覚山の開基とも、嘉暦3年(1328年)に柏庵宗意の開基ともいわれる。史料から、嘉暦3年以前は確実とされる。 円興寺は、元は北方の一本松の地に所在したという。しかし17世紀初頭に矢合城跡の現在地に移され、この時に旧国分寺の釈迦堂(国分寺堂)も椎ノ木から境内に移されたという。江戸時代には釈迦堂(国分寺堂)に旧国分寺の本尊とされる薬師如来像を安置し、のちこの薬師如来像は本堂に移され円興寺の本尊となった。『尾張名所図会』によると、近隣の円光寺(萩寺)とともに「両円こう寺」と称されたという。明治19年(1886年)に、旧国分寺の本尊を継承するという寺伝を根拠として「国分寺」と改称し、現在に至っている。この国分寺では、文化財として鎌倉時代頃作の木像5躯が伝わっている(いずれも国の重要文化財)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尾張国分寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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