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尾形 好雄(おがた よしお、1948年7月2日 - )は日本の登山家。福島県福島市出身。元スポニチ登山学校校長、現日本山岳協会理事長。ヒマラヤ山脈の未踏峰を登頂し、一度も事故を起こさなかった日本を代表する登山家である。 == 概要 == 福島県福島市出身、同県二本松市在住。 父親を早くに亡くしたため、小学校時代から家計のために自転車での牛乳配達をはじめていた。中学生時代から登山に興味を示し、兄たちとともに地元安達太良山を踏破する。福島県立福島工業高等学校入学後、山岳部に入部、登山の基礎知識を学ぶ。生徒会長と折衝して部の予算を倍額にした。 1967年に社会人で構成される「雪と岩の会」に参加、登山家として活動を始める。鍛え上げた屈強な身体から「サイボーグ・オガタ」と呼ばれた。 以後本格的な登山を始め、ネパールの奥地・ヒマラヤ山脈に興味を持ち始める。しかし既に8000m峰はすべて登り尽くされており、自らを大江健三郎の小説「遅れてきた青年」になぞらえて自らを「(ヒマラヤへ)遅れてきた青年」と称した。8000m峰の初登攀争いには乗り遅れたが、ヒマルチェリ・マモストンカンリ・ガンケルプンスム・ギャラペリ・リモⅠ峰・ピラミッドピークなど数多くの7000m未踏峰に挑戦、そのほとんどに登頂した。 1974年にヒマラヤ山岳隊としてヒマラヤ山脈の山に登る。その後、冬期エベレスト南西壁初登頂〔を含め、17回のヒマラヤ遠征により8000m峰4座、7000m峰6座(未踏峰5座)、6000m峰4座など15山に登頂成功する。17回のヒマラヤ登山で登頂を逃したのはブータン最高峰ガンケル・プンズム(7,541m)だけという実績を誇る。それも高山病に倒れた仲間を救出するため初登頂を捨てての決断だった。一度も事故を起こさず、仲間とともに生還した伝説の登山家である。1997年にはガッシャーブルム、ブロード・ピークの8000m峰連続登頂に成功。 朝日スポーツ大賞(94年)、スポニチ文化芸術賞(94年)などを受賞。 長年スポーツニッポン新聞社に勤務し、東京本社事業局事業部次長、スポニチ登山学校校長を務め、現在は日本山岳協会常務理事・国際部長、日本ヒマラヤ協会常務理事、インドのヒマラヤン・クラブ名誉会員。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尾形好雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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