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尾田 栄一郎(おだ えいいちろう、本名同じ〔、1975年1月1日〔 - )は、日本の漫画家。熊本県熊本市出身、九州東海大学中退〔。血液型はA型〔。妻は元モデルの稲葉ちあき〔『週刊文春』2010年12月30日・2011年1月6日号〕。愛称は尾田っち。 1997年より、『週刊少年ジャンプ』で『ONE PIECE』を連載中。同作の累計発行部数は3億2000万部を突破しており、「最も多く発行された単一作家によるコミックシリーズ」としてギネス世界記録に認定されている〔。67巻は国内出版史上最高記録となる初版405万部を発行している〔2015年12月現在。〕。 == 来歴 == 油絵が趣味だった父親の影響で幼い頃から絵を描き始め〔『ピューと吹く!ジャガー公式ファンブック ふえ科自由研究 〜君とつないだ手のぬくもりは何度かな?〜』(2008)うすた京介との対談。〕、4歳の時に漫画家という職業の存在を知り「''大人になっても働かなくていいんだ!''」と思い漫画家を目指し始める〔尾田栄一郎「SBS」『ONE PIECE』4巻 集英社〈ジャンプ・コミックス〉1998年8月9日第1刷発行、ISBN 4-08-872594-8、150頁〕。初めて読んだ漫画は藤子不二雄Ⓐの『怪物くん』〔集英社 『ONEPIECE尾田栄一郎画集COLOR WALK 2』(2003) P102の藤子不二雄Aとの対談より。〕。小学五年生時には『キャプテン翼』の影響でサッカー部へと入部〔『SWITCH』(2009)vol.27 No.12 尾田と桜井和寿の対談〕。このサッカー経験が元で後に漫画内でチームの楽しさを描くきっかけとなっている〔。 本格的に描き始めたのは中学2年生の頃より〔。『ONE PIECE』の題材とした海賊を好きになった原点は『小さなバイキングビッケ』であり〔「バイキング Part3」『ONE PIECE』2巻、4、1998年4月8日第1刷発行、ISBN 4-08-872544-1、134頁〕、中学時代には「ジャンプに海賊の漫画を描こう」と目標を定め〔『WANTED! 尾田栄一郎短編集』(1998)202頁〕、アイディアを貯め始める〔。高校一年生でサッカー部を辞め、漫画一本に集中することに決める〔。 1992年の東海大学付属第二高等学校在学中に月火水木金土(つきひみずきこんどう)のペンネームで投稿した短編「WANTED!」が『週刊少年ジャンプ』の新人賞の手塚賞に準入選する〔。1993年には「一鬼夜行」が10月期第104回ホップ☆ステップ賞にて入選を受賞。 1994年に九州東海大学〔2008年に東海大学に統合。〕工学部建築学科を1年時で中退し、甲斐谷忍〔「MONSTERS 解説」『WANTED! 尾田栄一郎短編集』集英社〈ジャンプ・コミックス〉1998年11月9日初版発行、ISBN 978-4-08-872631-1、156頁〕・徳弘正也〔・和月伸宏〔週刊少年ジャンプ特別編集『全史『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』 剣心華伝』集英社、1999年12月22日初版発行、ISBN 978-4-08-782037-9、54頁〕〔「ROMANCE DAWN 解説」『WANTED! 尾田栄一郎短編集』(1998)202頁〕のアシスタントを務める〔。アシスタント時代に描いた読切の海賊漫画「ROMANCE DAWN」が、後の『ONE PIECE』の原型となる。 1997年に『週刊少年ジャンプ』で海賊達の冒険と活躍を描く「ONE PIECE」の連載を開始。初連載ながら国民的人気作品となり、1999年(平成11年)にはアニメ化される。 2002年、アニメ『ONE PIECE』の劇場版第3作『ONE PIECE 珍獣島のチョッパー王国』の同時上映作品『夢のサッカー王!』に愛称の「オダッチ」役で声優として出演。 2004年11月7日にミュージカル『ONE PIECE』でナミを演じた元モデルの稲葉ちあきと結婚した。 2007年、『週刊少年ジャンプ』2007年4・5合併号に、『ONE PIECE』と鳥山明の『ドラゴンボール』のコラボ作品「CROSS EPOCH」が掲載された。 2009年にはアニメ『ONE PIECE』の劇場版10作目を記念して『ONE PIECE FILM STRONG WORLD』の映画ストーリー・コスチューム&クリーチャーデザイン・製作総指揮を務める。この映画は様々な東映記録を塗り替え、漫画原作のアニメ映画としては歴代最高記録(当時)となる興行収入48億円の大ヒットとなり、2010年上半期邦画興行成績ランキング第1位、2010年年間邦画興行成績ランキング第4位となった〔東映アニメーション2011年3月期第1四半期決算 〕。同年、鈴木敏夫のラジオ番組『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』に出演した。 2010年、『週刊少年ジャンプ』2010年39号掲載の「ONE PIECE」第597話で物語に大きな区切りがついたことに伴い、連載を40号(9月6日発売)より43号(9月27日発売)まで4週にわたり長期休載、44号(10月4日発売)より連載を再開。甲斐谷忍はツイッターで尾田が実質休んだのは一週間のみで残りは仕事をしていたと語っている。尾田は休暇の間は家族でハワイに旅行に行っていた〔『ONE PIECE』単行本61巻〕。 2011年、『週刊少年ジャンプ』2011年17号に島袋光年の『トリコ』のアニメ化に伴い、『ONE PIECE』と『トリコ』のコラボコミック「実食! 悪魔の実!!」が掲載された。尾田は島袋に指定されたところに絵を描いただけだが〔『週刊少年ジャンプ』2011年19号目次の尾田の作者コメント〕、作中には尾田の考えたモンスター「トラノイヲカルキツネノイヲカルブタ」が登場している。 2012年、初の展覧会『ONE PIECE展』の監修を務めた。テーマ曲にはかねてより親交があった中田ヤスタカ書き下ろしの「パノラミック・エクスペリエンス」が起用された〔中田ヤスタカ、「ONE PIECE展」テーマ曲制作 ORICON、2012年1月23日〕。同年、『ONE PIECE』劇場版12作目となる『ONE PIECE FILM Z』の総合プロデューサーを務めた。興行収入は『STRONG WORLD』を上回る68.7億円を記録するメガヒット作となった。 2013年5月、扁桃周囲膿瘍で入院しジャンプの連載を2週休載した〔「ワンピース」尾田栄一郎が扁桃周囲膿瘍で入院 連載は2週休載 シネマトゥデイ 2013年5月21日〕。退院後は定期的に1週休載する連載シフトを敷いていた。2014年5月、病状完治を目的として扁桃腺切除の手術を受けるため、2週休載することが発表された〔WJ28号、29号におけるONE PIECE休載のお知らせ 週刊少年ジャンプ公式サイト 2014年5月28日〕。 2015年6月15日、「ONE PIECE」が「最も多く発行された単一作家によるコミックシリーズ」としてギネス世界記録に認定され、「漫画界の先人達または協力者達、読者の皆様への感謝を忘れず、これからも記録に恥じぬ作品を描いていきたいと思います」とコメントした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尾田栄一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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