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尾留川正平 : ミニ英和和英辞書
尾留川正平[びるかわ しょうへい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

尾留川正平 : ウィキペディア日本語版
尾留川正平[びるかわ しょうへい]

尾留川 正平(びるかわ しょうへい、1911年9月13日〔 - 1978年1月21日)は、日本地理学者旧姓(はら)〔市川正巳(1989):6ページ〕。筑波大学名誉教授〔山本(1978):832ページ〕。日本地理学会第14代会長〔野間ほか 編著(2012):244ページ〕。専門分野は農業地理学で、村落の開拓過程や農業地域形成論、地域調査論を主な研究テーマとした〔。
岐阜県吉城郡船津町(現・飛驒市)生まれ〔。1941年東京文理科大学地学科地理学専攻卒〔。1951年、同助教授〔。1952年東京教育大学助教授〔。1953年、「裏日本海岸砂丘の地理学的研究 開拓及び土地利用とその因子」で東京教育大理学博士〔。1965年、教授。1972年 - 1974年日本地理学会会長〔。1973年、筑波大学教授。1975年、定年退官、名誉教授〔。1976年立正大学教授〔。
== 経歴 ==

=== 戦前 ===
1911年(明治44年)9月13日、岐阜県吉城郡船津町(現・飛驒市)に生まれる〔。生誕時の名字は原であった〔。飛驒の山中に生まれ育ち、山野を歩いて地理学的な見方の基礎を築いた〔。船津尋常高等小学校高等科を卒業後、岐阜県師範学校本科第一部に進み、1932年(昭和7年)に卒業する〔。同年、母校の船津尋常高等小学校訓導に着任するが、休職して東京高等師範学校へ進学する〔。1936年(昭和11年)に同校文科第4部を卒業、地理歴史修身教育公民科体操教員免許状(師範学校中学校高等女学校)を取得する〔。地理学と歴史学を修め、田中啓爾に師事した〔。
1936年(昭和11年)3月31日秋田県師範学校教諭に着任、1939年(昭和14年)に休職するまで勤務する〔。秋田師範着任時点で将来的な東京文理科大学への進学を検討しており、青野壽郎に相談していた〔青野(1989):1ページ〕。この間、1938年(昭和13年)3月25日婿養子として由利郡東滝沢村(現・由利本荘市)の尾留川隆子と結婚する〔。教諭として勤務する傍ら、小田内通敏の指導を仰ぎ秋田県を郷土学的に研究し、『綜合郷土研究―秋田県』を1939年(昭和14年)に発刊した〔。これは、鳥海山の麓を徹夜で踏破するなどの熱心なフィールドワークの成果である〔市川健夫(1989):24ページ〕。
1941年(昭和16年)12月26日、東京文理科大学地学科地理学専攻を卒業し、東京府女子師範学校(現・東京学芸大学)と東京府立第二高等女学校(現・東京都立竹早高等学校)の兼任教諭となる〔。卒業論文は『綜合郷土研究』の執筆経験を生かして秋田県の子吉川流域の農業集落を扱った〔。この研究は都市と農村の連繋について言及されており、都市と農村の関係を分析する先駆的な業績でもあった〔大嶽(1980):589ページ〕。1943年(昭和18年)4月1日、東京府女子師範学校が東京第一師範学校となったことにより同校教諭となり、立正大学講師を兼務する〔。この頃、尾留川は都電丸山町駅付近(現・文京区千石)に居住していたが、1945年(昭和20年)4月の東京大空襲で自宅を焼失した〔青野(1989):2ページ〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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