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尾鷲電気株式会社(おわせでんき かぶしきがいしゃ)は、明治末期から昭和初頭にかけて存在した日本の電力会社である。中部電力管内にかつて存在した事業者の一つ。 1910年(明治43年)に現在の三重県尾鷲市にて開業。東紀州の中心的な事業者であったが、1927年(昭和2年)に三重合同電気(後の合同電気)に合併された。 == 沿革 == 三重県では、1897年(明治30年)に県庁所在地津市において津電灯が開業したのを皮切りに、各地で電気事業が出現していた。県の南部、北牟婁郡尾鷲町(現・尾鷲市)においても有志の間で電気事業の計画が進められ、1910年(明治43年)5月21日、町内の中井浦に尾鷲電気株式会社が設立された〔尾鷲市役所(編)『尾鷲市史』下巻、尾鷲市役所、1971年、332-337頁〕。資本金は5万円で、尾鷲の実業家浜田常助らによる設立である〔浅野伸一「戦前三重県の火力発電事業」『シンポジウム中部の電力のあゆみ』第10回講演報告資料集 三重の電気事業史とその遺産、中部産業遺産研究会、2002年、139-140頁〕。 1910年10月、尾鷲電気は出力75キロワットの火力発電所を設置して電気の供給を開始した〔。発電所は中井浦の本社に隣接して設置され、中部地方では初となる吸入式ガス機関を採用していた〔。当時の電灯は石油ランプよりも高価で、生活習慣から夜間の照明を必要としなかったこともあって普及は遅いものであった〔。1915年(大正4年)になって尾鷲町の大部分で供給が始まり、隣接する引本町(現・紀北町)にも供給が及んだ〔。 開業以来火力発電を電源としていた尾鷲電気であったが、水力発電へと転換すべく銚子川水系の開発を立案、まず1919年(大正8年)に出力145キロワットの又口川発電所を新設した〔。1921年(大正10年)に資本金を30万円増資して60万円とし〔、1923年(大正13年)11月には銚子川発電所も建設している〔中部電力電気事業史編纂委員会(編)『中部地方電気事業史』下巻、中部電力、1995年、333-334・347-348頁〕〔黒川静夫『三重の水力発電』、三重県良書出版会、1997年、98-99頁〕。またこの間の1922年(大正11年)9月には、小規模火力発電所によって九鬼村に供給していた九鬼電灯(1919年11月開業)を統合した〔「戦前三重県の火力発電事業」、142-143頁〕。 1924年(大正13年)、資本金を110万円とした〔『尾鷲市史』下巻、515頁〕。しかしその3年後の1927年(昭和2年)4月、尾鷲電気と三重合同電気(後の合同電気)の合併が認可された〔。この三重合同電気は、津電灯をはじめ三重県内の主要事業者を合同して1922年(大正11年)に成立した事業者で、発足後も各地で事業の統合を進めていた〔東邦電力史編纂委員会(編) 『東邦電力史』、東邦電力史刊行会、1962年、239-242頁〕。1927年5月15日、尾鷲電気は県内の北牟婁電気などとともに三重合同電気に合併されて消滅した〔。合併前、1926年時点で社長は栗原実也(元尾鷲町長〔『尾鷲市史』下巻、866頁〕)で、三重合同電気副社長の安保庸三が取締役の一人であった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尾鷲電気」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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