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『居杭』(いぐい、井杭)は、狂言の演目の一つである〔''居杭''、デジタル大辞泉、コトバンク、2012年9月7日閲覧。〕〔''井杭・居杭''、大辞林 第三版、コトバンク、2012年9月7日閲覧。〕〔''居杭''、油谷光雄、Yahoo!百科事典、2012年9月7日閲覧。〕。「小名狂言」、あるいは「雑狂言」(大蔵流では「集狂言」)に分類される〔〔杉森、p.66.〕〔居杭 、大蔵流山本会、2012年9月7日閲覧。〕。題名は主人公の名と同一であるが表記が流派によって異なり、大蔵流では『居杭』、和泉流では『井杭』である〔〔〔〔。居杭(井杭)という人物が、清水寺の観音様に「隠れ頭巾」を授かり、姿を消して周囲の人々を翻弄する話である〔〔〔。 1593年(文禄2年)に、戦国武将である豊臣秀吉、前田利家、徳川家康が演じた狂言『耳引』(みみひき)であると推定されている〔杉森、p.77.〕〔文禄二年禁中能番組 、日本芸術文化振興会、2012年9月7日閲覧。〕〔東北芸術工科大学伝統館 薪能 、東北芸術工科大学、2012年9月7日閲覧。〕。 == 略歴・概要 == なにかと頭を叩かれる人物・居杭(井杭)が題名にもなった主人公であるが、このネーミングは諺「出る杭は打たれる」から来たと推測されている〔吉越、p.42-43.〕。居杭(井杭)が授かる「隠れ頭巾」は、被ると透明人間になる設定である〔丘、p.76.〕。「隠れ頭巾」を授ける千手観音を本尊とする清水寺は、謡曲『田村』『熊野』『花月』にも歌われている霊場である〔。 現在、居杭(井杭)を子役が演じる少年設定が多いが、中には成人設定の場合もある〔〔〔。もともとは成人設定で、「鬼山伏狂言」に分類されていたものであり、現在の上演とは趣が異なる〔〔。居杭(井杭)が成人設定だった時代には、亭主(何某)に寄生して生活する人物として描かれていたという〔杉森、p.76.〕。市井の占い師である「算置」が登場する本作は、狂言の演目のなかでも珍しいものとされる〔。本作における「算置」は、亭主(何某)とともにからかわれ、笑われる存在であるが、本作の主眼は「算置」の存在をあざ笑うことではなく、陰陽道や算術・算道といった呪術世界である、という評価がある〔福井、p.72-74.〕。 作者、成立年代はともに不詳である。大蔵流は玄恵(生年不詳 - 1350年)の作と伝えるが、傍証は存在しない〔大曽根、p.89.〕。記録に残る本作のもっとも古いものは、1464年(寛正5年)に成立した『糺河原勧進猿楽日記』に記載されている『カクレミノ』という作品で、これは本作の古名であると推測されている〔南北朝期・室町初期における狂言作品成立の可能性 、名古屋女子大学、2012年9月7日閲覧。〕。 『文禄二年禁中能番組』によれば、グレゴリオ暦1593年11月27日にあたる文禄2年旧暦10月5日から3日間、後陽成天皇を前に豊臣秀吉が開催した「禁中御能」で、秀吉は自ら居杭を演じ、算置に前田利家、有徳人(主人、現在の亭主あるいは何某にあたる役)に徳川家康をキャスティングして、『耳引』という狂言を上演している〔〔〔。この『耳引』は、現在の『居杭』であるとみなされている〔〔〔。 1576年(天正6年)の『天正狂言本』、いわゆる「天正本」や、1642年(寛永19年)に書写された大蔵虎明能狂言集、いわゆる「虎明本」では、場面が二段構成であった〔杉森、p.78.〕。 須田国太郎は、二世茂山千作(1864年 - 1950年)が1946年(昭和21年)2月17日、京都の金剛能楽堂で行った『居杭』をデッサンし、描き残している〔''居杭''、須田国太郎、大阪大学附属図書館、2012年9月7日閲覧。〕。同上演では、居杭は成人設定であった〔。『狂言 - 鑑賞のために』(1974年)には、井杭を子役だった当時の野村耕介(のちの五世野村万之丞)、亭主を四世野村万之丞(現在の七世野村万蔵)、算置を六世野村万蔵が演じた和泉流『井杭』の白黒写真が掲載されている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「居杭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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