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屠 呦呦(と・ゆうゆう、トゥ・ヨウヨウ 、呦(ヨウ)は口偏に「幼」、1930年12月30日 - )は中国の医学者、医薬品化学者、教育者。 多くの命を救った抗マラリア薬であるアーテミシニン(青蒿素)との発見者として知られている。アーテミシニンの発見およびそれを使ったマラリア治療は、20世紀における熱帯病治療、南アジア・アフリカ・南米の熱帯開発途上国での健康増進を、飛躍的に進歩させたとみなされている。屠は2011年にラスカー・ドゥベーキー臨床医学研究賞を、2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。中国本土で教育を受け且つ研究を続けた生粋の中国人がラスカー賞及びノーベル賞を受賞したのは、屠が初めてである。 == 研究背景 == 屠は1960年代から1970年代にかけての文化大革命の時期に研究を続けていた。この時期、科学者たちは毛沢東思想により最下層の階級(いわゆる「臭老九」)とみなされていた。この頃、中国の同盟国である北ベトナムは、南ベトナム・米国とベトナム戦争を戦っていたが、マラリアで多くの死者を出し、従来の特効薬であるクロロキンに対する抵抗性が出始めていた。マラリアは中国南部の海南、雲南、広西、広東でも主な死因の一つだった。毛沢東は523計画という新薬開発の秘密プロジェクトを1967年5月23日に立ち上げた。 世界各地の科学者が24万もの合成物を検査したが、いずれも失敗だった。1969年、当時39歳だった屠は、中国の薬草を調べることを考えていた。彼女はまず漢方の古典を調査し、中国各地のベテラン漢方医を訪ね歩き、「抗マラリアのための実践的処方集」と名付けたノートを作った。そのノートには640もの処方がまとめられていた。また彼女の研究チームは、2000もの伝統的な漢方の調剤法を調べ、薬草から380もの抽出物を取り出し、マウスで試験した〔。 そのうちの一つの合成物に効果が認められた。マラリアの特徴である「断続的な発熱」に使われるヨモギの一種クソニンジンだった。プロジェクトの研究会で屠が発表したところによると、その調合法は1600年前に葛洪が著作した文献に『肘後備急方』(奥の手の緊急処方)という名で記されていたという〔Newton 2015年12月号〕。当初、屠たちは文献どおりに熱湯で抽出を行なったため効果が得られなかったが、熱が植物中の有効成分を損なったのではないかと屠は考え、代わりに低温のエーテルを使って有効な合成物を抽出する手法を提案した。マウスとサルを使った動物実験で、この薬は充分な効果が認められた〔。 その上で、屠はヒトとしての最初の被験者となった。「この研究グループのリーダーとして、私には責任がありました」と彼女は語った。薬の安全性が分かり、その後に実施したヒトの患者への臨床試験も成功した。彼女の研究は、1977年に匿名で発表された〔。 「全人類の健康のために戦い続けることは研究者の責務です … 私がしたことは、祖国が私に授けてくれた教育への恩返しとして、私がしなければならなかったことです」と屠は語った〔。彼女はラスカー賞の受賞を喜んだが、「私にとって、多くの患者の治癒を見ることがより喜ばしいことです」と語った〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「屠ユウユウ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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