|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 屯 : [とん] 【名詞】 1. ton ・ 屯田 : [とんでん] 1. (n,vs) colonization 2. colonisation ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 歩 : [ほ, ふ] 【名詞】 1. a step 2. a stride 3. counter for steps ・ 歩兵 : [ほへい] 【名詞】 1. infantry 2. infantryman 3. foot soldier ・ 兵 : [へい] 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy
屯田兵(とんでんへい)は、明治時代に北海道の警備と開拓にあたった兵士とその部隊である。1874年(明治7年)に制度が設けられ、翌年から実施、1904年(明治37年)に廃止された。 == 軌跡 == === 屯田兵の開始 === 屯田制を北海道に実施するという考えは、明治初年から様々な方面に生まれていた。そのおそらく最初のものは、徳川家の遺臣を移して北方警備と開墾に従事させようとする榎本武揚の考えで、彼はこの計画を掲げて新政府と箱館戦争を戦った。 政府内の提案としては、明治3年11月(1870年12月 - 1871年1月)に開拓使が行なったものがはじめである。ついで西郷隆盛が1871年(明治4年)から1873年(明治6年)にかけて士族による北方警備と開拓を主唱した。西郷は計画の実現をみることなく下野したが、彼の影響で開拓次官の黒田清隆が1873年11月に太政官に屯田制を建議した。樺太と北海道の兵備の必要と、そのための費用を憂え、「今略屯田の制に倣い、民を移して之に充て、且耕し且守るときは、開拓の業封疆の守り両ながら其便を得ん」というものであった。黒田が考えたのも士族の活用であったが、彼の場合旧松前藩と東北諸藩の貧窮士族を想定していた。 太政官は黒田の提案に賛成し、1874年(明治7年)に屯田兵例則を定めた。1875年(明治8年)5月、札幌郊外の琴似兵村への入地で、屯田が開始された。 その他にも、1867年(慶応3年)、坂本龍馬は大政奉還で武士が職を失うことを予想しその力を北海道開拓に活かすことを考え、同志にエゾ(北海道)に渡り、新しい国をつくることを述べていた〔北海道坂本龍馬記念館 北海道新聞社〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「屯田兵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|