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山の井 鷲之助(やまのい わしのすけ、1795年〈寛政7年〉 - 1822年7月19日〈文政5年6月2日〉)は、佐渡ヶ嶽部屋に所属した元力士〔http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3274&l=j〕。 本名・身長・体重とも不明。因幡国高草郡(現在の鳥取県鳥取市)出身〔。 最高位は西関脇。 鳥取藩の抱えとして、1821年2月場所で初土俵を踏んだ。子供の時から力が強く、地引網の一方を1人で受け持って引いたというエピソードが残っているほど体格が非常に恵まれていた〔入幕順・幕内力士一行紹介・十二 文化14年正月~文政 8年正月入幕(相撲評論家之頁のHP) 〕ため、西張出前頭2枚目(のち番付の改訂が行われて、小結)に付出された。この場所は2勝3敗2休2分1無の成績だったが、次の1821年10月場所では西関脇に昇進。この場所では5勝4敗1無の成績を挙げ、次の1822年1月場所では7勝3敗の優勝次点の成績を挙げた(優勝相当成績者は有馬山龍右エ門で7勝2敗1無だった)。しかし、これからの活躍が期待された矢先の6月2日に急死した。数え28(満26~27歳)の短い生涯だった。 幕内通算 3場所 14勝10敗2分2無2休の成績を残した。 改名歴は1回:山ノ井 鷲之助 → 山の井 鷲之助〔。 墓は、江東区永代萬徳院,法林院にある〔山ノ井鷲之助(鳥取県郷土人物文献データベース) 〕。 == 出典 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山の井鷲之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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