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山下 奉表(やました ともよし、1882年(明治15年)4月1日 - 1932年(昭和7年)4月8日)は、日本の海軍軍人、医師。最終階級は海軍軍医少将。 == 履歴 == 1882年(明治15年)、高知県長岡郡大杉村(現在の大豊町)に山下佐吉の息子として生まれた。1903年(明治36年)12月、海軍少軍医候補生となり海軍軍医学校で練習学生として学ぶ。同年9月、海軍少軍医に任官。同年12月、「秋津洲」乗組となり、日露戦争に出征。日本海海戦などに参戦した。その後、「高千穂」「松島」「日進」の各乗組などを歴任。 1909年(明治42年)12月、舞鶴海軍病院付となり、鎮海防備隊軍医長兼臨時建築部支部員などを経て、1912年(明治45年)5月から一年間、海軍軍医学校で甲種学生として学んだ。1913年(大正2年)5月、佐世保海軍病院付となり、「八幡丸」乗組などを経て、1914年(大正3年)12月、海軍軍医少監に昇進した。 呉海軍病院第二部長、舞鶴要港病院長などを歴任。1928年(昭和3年)12月、海軍軍医少将に進み軍令部出仕となる。同年12月に待命となり予備役に編入された。1932年(昭和7年)4月、50歳で死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山下奉表」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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