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山下 末則(やました すえのり、1948年3月14日 - )は、日本のアナウンサー、実業家。株式会社パーフェクト・スピーチ代表取締役社長、株式会社ヤマシタルーム代表取締役〔外部リンク(オーディックのプロフィール)を参照。〕。株式会社ウェザーニューズ顧問〔外部リンク(オーディックのプロフィール)では、「(株)ウエザーニューズ顧問」と記述。日本ソフトウエア産業協会公式サイト内『経営者のためのスピーチ力アップ・実践セミナー』告知記事 (外部リンク)内経歴では、「(株)ウェザーニュース 顧問」と記述。〕。みやざき大使〔。 == 来歴・人物 == 福岡県北九州市出身。福岡県立東筑高等学校、北九州大学(現:北九州市立大学)外国語学部米英語学科を卒業後、1970年4月に宮崎放送(MRT)へ入社〔、同社アナウンサーを経て〔外部リンク(岐阜新聞・岐阜放送懇談会)を参照。〕、1981年4月に日本テレビ放送網(日テレ)へ入社した〔。同期に小倉淳、菅家ゆかりがいる。 日テレ入社後は主にプロ野球・読売ジャイアンツ(巨人)戦中継の実況を担当し、セントラル・リーグ公式戦では、1990年9月8日に吉村禎章が打ったサヨナラホームランで優勝決定した試合(対ヤクルトスワローズ戦。東京ドーム)や、1994年5月18日に槙原寛己が完全試合を達成した試合(対広島東洋カープ戦。福岡ドーム)を務めた。また、シーズン開幕戦(開催が東京ドームの場合のみ)の実況は1991年(対中日)、1995年、1997年(ともに対ヤクルト)の3回担当した。日本シリーズでは1990年の日本シリーズの第2戦、1994年の日本シリーズの第2戦(いずれも対西武ライオンズ戦)、1996年の日本シリーズの第1戦(対オリックス・ブルーウェーブ)、2000年の日本シリーズの第4戦(対福岡ダイエーホークス)を担当した。 野球以外にも陸上競技に精通しており、箱根駅伝のセンター実況も長く務めた。他にもサッカー中継の実況も担当しており、トヨタカップでは1986年(リーベル・プレート対ステアウア・ブカレスト)、1993年(サンパウロFC対ACミラン)、1995年(アヤックス対グレミオ)、1997年(ボルシア・ドルトムント対クルゼイロ)の大会を担当。Jリーグでは1993年11月10日のニコスシリーズ、ヴェルディ川崎対横浜マリノス戦(国立競技場。武田修宏のVゴールにより、ヴェルディが対マリノス戦初勝利をした試合)を実況している。近代オリンピックも二度担当した。 2006年6月には、日テレの関連会社であるアール・エフ・ラジオ日本へ出向し、営業職(営業局総務〔)を務めた。2008年3月に定年を迎え、日テレを退職〔。同年4月には企業の社長や重役を対象としたスピーチコンサルティング会社「株式会社パーフェクト・スピーチ」を設立した〔社名の由来は、槙原寛己が完全試合を達成した試合の実況を担当していたことによるもの。〕。社長業のかたわら、フリーアナウンサーとして、スカイパーフェクTV!(→スカパー!)等衛星テレビ放送各局で放送されるスポーツ中継の実況を務めることもある。2009年1月頃より、オーディックと業務提携を結んで活動〔参考リンク…過去のオーディックウェブサイト内業務提携タレントリスト(インターネット・アーカイブ保存キャッシュ) * 2008年10月29日付保存キャッシュ * 2009年1月23日付保存キャッシュ ※ここより、山下の名が掲載。〕。 2011年、東京プロ野球記者OBクラブ〔東京プロ野球記者OBクラブ 〕へ入会〔東京プロ野球記者OBクラブ会報『談話室』2011年11月14日発行・第6号 より、P8を参照。新会員の一人として明記。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山下末則」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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