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山下 澄子(やました すみこ、1899年12月27日 - 没年不詳)は、日本の女優である〔''山下澄子''、''jlogos.com'', エア、2013年2月21日閲覧。〕〔''山下澄子''、日本映画データベース、2013年2月21日閲覧。〕〔''山下澄子''、日本映画情報システム、文化庁、2013年2月21日閲覧。〕〔''山下澄子''、日活データベース、2013年2月21日閲覧。〕。出生名武藤 澄子(むとう すみこ)〔、結婚後本名高木 澄子(たかぎ すみこ)〔キネマ旬報社, p.302.〕。 == 人物・来歴 == 1899年(明治32年)12月27日、兵庫県神戸市に生まれる〔。 1924年(大正13年)早々、帝国キネマ演芸に入社、同社の小坂撮影所に所属し、同年2月22日に公開された中川紫朗監督の『お夏清十郎』に出演して、満24歳で映画界にデビューした〔。1926年(大正15年)8月12日に公開された森本登良夫監督の『美少年』では、同社のスター、市川百々之助の相手役を務めて主演する〔〔。その後、多く百々之助の相手役を務めた〔〔。満29歳を迎える1928年(昭和3年)、3歳年上の俳優の高木永二と結婚する。 3年のブランクを経て、1931年(昭和6年)には、日活太秦撮影所に入社、同年12月4日に公開された長倉祐孝監督の『恋の長銃』(スナイドル)に夫の高木とともに、出演している〔〔、2013年2月21日閲覧。〕。1932年(昭和7年)2月に奈良に設立された富国映画に夫の高木とともに移籍、『浪人の行く道』(公開は1933年)に出演したが、同社はすぐに倒産し、夫の高木とともにもとの日活に戻っている〔〔〔。日活に戻る直前の同年7月、富国映画を退社した高木・山下夫妻、吉田豊作、清水俊作らが満洲国(現在の中華人民共和国東北部)を訪れ、舞台実演を行なった記録がある〔満洲文化協会, p.582.〕。 1934年(昭和9年)10月25日に公開された久見田喬二監督の『捕物五月雨格子』に出演したが、同作以降の出演記録が見当たらない〔〔〔。夫の高木が同年、東京の日活多摩川撮影所に異動しており〔〔、山下はこの時点で事実上引退している。同年に発行された『日本映画俳優名鑑 昭和九年版』には、山下の住所は京都市右京区鳴滝桐ケ淵町(現在も同一住居表示)、高木の住所は神奈川県高座郡相原村橋本(現在の同県相模原市緑区橋本)のものが記載されている〔映画世界社, p.73, 99.〕。その後の高木についても、1942年(昭和17年)以降の出演記録が不明である〔〔。時代は第二次世界大戦に突入しており、以降の高木・山下夫妻の消息はともに不明である〔〔。没年不詳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山下澄子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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