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山下良道 : ミニ英和和英辞書
山下良道[やましたりょうどう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
: [りょう]
 【名詞】 1. good 

山下良道 : ウィキペディア日本語版
山下良道[やましたりょうどう]
山下良道(やましたりょうどう、1956年-)は、東京都出身の鎌倉一法庵(One Dharma Forum, ワンダルマの会)住職。ワンダルマ仏教僧〔『青空としてのわたし』 プロフィール(p.230)〕。元テーラワーダ仏教僧侶〔2015年9月27日の山下のポッドキャスト「信仰と化学が「本当に」ひとつなる時代へ 」の39〜41分目における発言。〕(比丘名はスダンマチャーラ〔『青空』 p.113〕, Sudhammacara〔)。元曹洞宗僧侶〔〔『アップデートする仏教』 p.90〕・開教使〔『別冊サンガジャパン 1』 p.373〕。法名は一法良道〔。
自身や日本の仏教の遍歴に沿う形で、日本に伝統的に伝わる大乗仏教の現状を「仏教1.0」、90年代後半から顕著に日本に入って来たテーラワーダ仏教(上座部仏教、南方仏教〔『アップデート』p.5〕)を「仏教2.0」とし、それら両者の資産を活かしつつも両者の問題点を克服した仏教のあり方としての「仏教3.0」を提唱し、仏教界の改革に向けて活動している〔『青空』 pp.14-18〕〔『別冊1』 pp.373-376〕。
== 経歴 ==
1956年、東京都に生まれる〔。
14歳の頃、未来の幸福のために現在を手段として使う生き方に疑問を感じる一方、中学・高校の修学旅行で触れた京都・奈良の仏教に「現代の社会の原理とはまったく違うもの」を感じ、高校生の頃から仏教書を読み始める〔『青空』 pp.63-66〕。
東京外国語大学仏語学科卒業を間近にして、曹洞宗内山興正の著作に触れ、内山の法話の聴講、手紙のやり取りを経て、大学卒業後の1982年に兵庫県の曹洞宗安泰寺に入る〔『青空』 pp.66-69〕。1983年に曹洞宗の僧侶として得度。法名は一法良道〔。
1988年、曹洞宗の海外開教師としてアメリカ・マサチューセッツ州のヴァレー禅堂に派遣され、藤田一照と共に坐禅指導や講義を行う〔『青空』 p.75〕。1990年代初頭にティク・ナット・ハンの著作とマインドフルネスの概念に触れる〔『青空』 pp.78-79〕。1991年にイタリアの禅道場に半年間滞在〔『青空』 p.84〕。
1992年、帰国。京都府南丹市の昌林寺付属の京都曹洞禅センターで外国人に英語で説明しながら坐禅の修行を共にする一方、同寺の住職代理として葬式・法事に携わるなかで日本仏教の様々な現実に触れる〔『青空』 pp.84-85〕。
1995年2月、京都曹洞禅センターを辞職する。3月のオウム真理教による地下鉄サリン事件に衝撃を受ける〔『青空』 p.86〕。4月、来日したティク・ナット・ハンと、京都の東山で会談。臨済宗の僧侶であるティク・ナット・ハンが日本の禅僧たちとは雰囲気が違い、非常に安らぎに満ちていると感じられるのはマインドフルネスの実践によるものと感じ、マインドフルネスと関わりの深いテーラワーダパーリ語経典にも関心を持つ〔『青空』 pp.95-97〕。
1995年11月、高知県津野町の空き家を借りて「渓声禅堂」を設立、仲間と共に自給自足しながらの坐禅生活を送るとともに、テーラワーダの瞑想にも取り組む〔『青空』 pp.97-101〕。日本テーラワーダ協会(現・日本テーラワーダ仏教協会)の機関誌の編集にも携わった〔『青空』 p.102〕。渓声禅堂における活動や、安泰寺の文集に日本の寺や修行方法についての疑問を書いたことなどによって、安泰寺との関係に緊張が生じた。安泰寺に戻るよう命じられるが、師である内山が1998年に亡くなっていたことで、安泰寺・曹洞宗に自分を引き留めるものが何もないという判断に至る〔『青空』 pp.102-104〕。
2001年、ビルマのテーラワーダの長老に随順する方針のもとに渓声禅堂を一時閉鎖して上京〔『青空』 p.104〕。来日したパオ・セヤドーの講演の通訳を務め、パオ・セヤドーに師事する。7月、日本を発ち、ビルマのモウラミャインにあるパオ森林僧院にてテーラワーダ比丘として得度。比丘名はスダンマチャーラ。同僧院で修行生活に入る〔『青空』 pp.107-113〕。約4年〔『青空』 p.134〕かけてパオ・メソッドを修了する〔。その過程で、テーラワーダと大乗仏教の関係性に気づく〔『青空』 pp.133-163〕。パオ・メソッドの瞑想を最終段階までやり遂げたものの、「仏教2.0」の教義の論理的な矛盾に納得できず、その解決が「仏教2.0」のなかでは無理であると認識し、他人に教えを説くこともできず、どう活動していけばいいか方向を見失った〔『青空』 pp.167-168〕。
2005年、パオ・セヤドーのアメリカでのリトリートでアシスタントを務める。その後、スリランカのナウヤナ森林僧院に半年間滞在し、パーリ語とチャンティング(読経)を学ぶ〔『青空』 p.168〕。
2006年1月、インドブッダガヤなどを巡礼した後、ネパールに半年間滞在し、カトマンズボダナートチベット仏教を学んで帰国〔『青空』 p.170〕。
2007年3月、パオで知り合った韓国僧に招待されて韓国に一ヶ月滞在。当地の寺で華厳経の言葉を読んだことと、5月に来日したチベット仏教のと高野山で二週間ディスカッションを行なったことにより、頭の整理がついてきた。同年7月から鎌倉市稲村ヶ崎の一法庵で毎週の坐禅会を始め、現在まで続けている〔『青空』 pp.171-172〕。
2014年6月1日、NHK「こころの時代」出演〔『別冊1』 p.374〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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