|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 下 : [した, もと] (adv) under (esp. influence or guidance) ・ 艶 : [つや] 【名詞】 1. gloss 2. glaze ・ 子 : [こ, ね] (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
山下 艶子(やました つやこ、旧姓:生田〔毎日新聞 2005年4月2日 大阪夕刊〕、1929年 - )は元フィギュアスケート選手で現在はコーチ。大阪市出身。関西学院大学卒。155cm。長女は元フィギュアスケート選手でグルノーブルオリンピック、札幌オリンピック女子シングル日本代表の大西一美。 == 経歴 == 6歳のとき、大阪・中之島にあった朝日会館内のリンクで永井康三に師事し、スケートを始めた〔毎日新聞 2005年4月2日 大阪夕刊〕。 1938-1939年と1939-1940年シーズンの全日本フィギュアスケートジュニア選手権で2連覇を果たし、1940-1941年の全日本フィギュアスケート選手権で3位となった。しかし1942年以降は競技会は戦争終結まで中止となった。 二児の母となった後、第二次大戦後の1953-1954年、1954-1955年シーズンの全日本フィギュアスケート選手権で2連覇を達成。オリンピック、世界選手権の候補選手となったが、出場することは無かった。 1955年、27歳で引退した後はコーチとして佐藤信夫、大川久美子、長女の山下一美らを指導した。稲田悦子らとともに日本フィギュアスケートインストラクター協会を設立。2003年まで大阪スケート倶楽部でコーチを続けた。現在は日本フィギュアスケートインストラクター協会の名誉会員に就任している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山下艶子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|