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山中 定次郎(やまなか さだじろう、1866年8月20日 - 1936年10月30日)は明治、大正時代の古美術商。株式会社山中商会初代社長。大阪の美術商山中家の養子に入った後、海外進出を任されてニューヨーク、ボストン等に支店を設立、中国での買い付けに奔走し、山中商会の国際展開を主導した。 == 生涯 == === 山中家奉公 === 慶応2年(1866年)7月11日、和泉国堺(堺市甲斐町7番地)に古美術商安達信五郎とモンの間の長男として生まれた。1873年(明治6年)3月堺の尋常高等小学校に入学し、1877年(明治10年)3月卒業した。家業の見習いで阪堺を往来した後、1878年(明治11年)9月、高麗橋三丁目の古美術商山中吉兵衛に丁稚奉公に出された。 1883年(明治16年)から1886年(明治19年)まで府立大阪商業講習所夜間科に通い、また平野町仏光寺で松村敏夫に英学を学んだ。明治17年(1884年)海外に渡航しようと無断で横浜に行き、連れ戻されたという。明治22年(1889年)4月3日山中吉兵衛長女テイと結婚し、山中家に入った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山中定次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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