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山中 峯太郎(やまなか みねたろう、1885年(明治18年)12月15日 - 1966年(昭和41年)4月28日)は、日本の陸軍軍人、小説家、翻訳家。陸軍士官学校卒業、最終階級は陸軍中尉。 ==略歴== 大阪の旧彦根藩士・呉服商馬淵浅太郎の次男として生まれる。2歳の頃、陸軍一等軍医山中恒斎(戦国武将山中幸盛の末裔を称する)の養子となる。陸軍士官学校では阿南惟幾と同期(18期)。在学中に菊池幽芳の薦めもあって大阪毎日新聞に小説を発表する。またキリスト教や禅、伊藤証信の無我苑など宗教的に彷徨する。1910年(明治43年)陸軍大学校入学。1913年(大正2年)、辛亥革命後の袁世凱の専制に反対する第二革命に参加し、山中未成の筆名で東京朝日新聞に記事を送稿。陸大は退校となり、1914年依願免官後、東京朝日新聞社入社。 その後も第三革命にも関与するが、一方、「中央公論」「東方時論」「新小説」などに評論や読み物、小説を発表。1917年、淡路丸偽電事件の首謀者として逮捕され東京朝日新聞を退社、下獄。1919年出獄後、自らの宗教的告白『我れ爾を救ふ』を出版。一燈園の西田天香と交流する。この頃から「婦人倶楽部」「主婦之友」などの婦人雑誌に家庭小説や宗教小説を執筆するようになる。さらに倶楽部雑誌、少年少女雑誌でも活躍するようになり、講談社の雑誌が主舞台となる。1927年(昭和2年)から「少年倶楽部」に登場、1930年の『敵中横断三百里』で人気を博す(戦後に監督森一生、脚本黒澤明により「日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里」として映画化)。また『亜細亜の曙』『大東の鉄人』などの本郷義昭シリーズも広く知られる。 戦後は『実録・アジアの曙』など自伝的回想を発表している。また、海外のエンタテインメント作品をジュニア向けに翻案した作品を発表。なかでもポプラ社から1954年より世界名作探偵文庫の一部として刊行され、1956年よりは名探偵シャーロック全集(全20巻)として刊行されたシャーロック・ホームズものの翻案は、題名や設定を大幅に変更した怪作として知られている。 山中未成、大窪逸人、石上欣哉、三条信子など、ペンネームも用いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山中峯太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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