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山中 巽(やまなか たつみ、1944年1月4日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 愛知県名古屋市出身。中京商業高校では1年生の時、1959年夏の甲子園に控え投手として出場するが、1回戦で高鍋に敗退、登板機会はなかった。この時の3年生に石黒和弘遊撃手がいた。1961年はエースとして甲子園に春夏連続出場。春の選抜は1回戦で小倉工に惜敗。夏の選手権は準々決勝で、この大会に優勝した浪商の尾崎行雄投手と投げ合うが0-14で大敗した。秋の秋田国体では決勝で報徳学園を降し優勝を飾る。当時のチームメイトには同期の江藤省三三塁手(巨人他)、相羽欣厚中堅手(巨人他)、1年下の林俊彦投手(南海)、木俣達彦捕手(中日)がいた。 翌1962年に中日ドラゴンズに入団。豪快なフォームから繰り出される直球を武器に、2年目の1963年には15勝(6敗)をマークし、最高勝率(.714)のタイトルを獲得。1965年にも12勝(2敗)、勝率.857で再び同タイトルを獲得するなど、権藤博の後の中日のエースとして活躍した。決め球はフォークボールを武器としており、時折、シュートやカーブも投げる。 1968年8月24日と25日の両日、明治神宮野球場でのサンケイスワローズ戦にて連投した際には、豊田泰光に2日続けて代打サヨナラ本塁打を打たれたという珍記録を残している〔【8月25日】1968年(昭43)サヨナラ男・豊田、2戦連続同じ投手から決着弾 『日めくりプロ野球-8月』スポーツニッポン 2007年8月〕。 その後、内臓疾患を患ったことから1970年のシーズン終了後に26歳の若さで現役を引退。引退後は球団に残りスコアラーを経てフロント入りし、営業部主任などを務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山中巽」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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