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山中 恒三(やまなか つねぞう、1886年(明治19年)6月23日 - 1975年(昭和50年)7月1日〔『埼玉人物事典』822頁。〕)は、日本の内務官僚、弁護士。官選県知事。 ==経歴== 山口県都濃郡富田村(現周南市)出身。山中安兵衛の二男として生まれる〔。第六高等学校を経て、1912年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。司法省に入省。1914年、内務省に転じ三重県属となる〔『新編日本の歴代知事』433頁。〕〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』204頁。〕 以後、三重県警視、同県安濃郡長、青森県理事官、岐阜県警察部長、北海道庁書記官・拓殖部長、福岡県書記官・内務部長、北海道庁土木部長などを歴任〔。 1929年2月、富山県知事に就任。財政難のなか緊縮予算の編成を余儀なくされた〔。1931年4月、埼玉県知事に転任〔『新編日本の歴代知事』319頁。〕。同年12月18日、滋賀県知事へ転任が発令されたが〔『新編日本の歴代知事』639頁。〕、三日後の12月21日に依願免本官となり退官した〔〔『官報』第1495号、昭和6年12月22日。〕。 その後、帰郷して弁護士となり、農業も営んだ〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山中恒三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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