|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 山中 : [さんちゅう] 【名詞】 1. among the mountains ・ 中 : [なか] 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among ・ 重 : [おも] 1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important ・ 之 : [これ] (int,n) (uk) this
山中 源左衛門(やまなか げんざえもん、生年不詳 - 1645年12月25日)は、江戸時代前期(17世紀)に実在した日本の武士、旗本である〔''山中源左衛門''、朝日日本歴史人物事典、コトバンク、2012年8月2日閲覧。〕〔''山中源左衛門''、デジタル版 日本人名大辞典+Plus、コトバンク、2012年8月2日閲覧。〕。本名重之〔三瓶、p.14.〕。 == 人物・来歴 == 生年月日・生地ともに不詳であるが〔〔、『寛政重修諸家譜』(1812年)にも『徳川実紀』(1849年)にもその名が記述されている、実在の人物である〔。 『寛政重修諸家譜』によれば、1622年(元和8年)に初めて、第2代征夷大将軍の徳川秀忠に拝謁し、200俵を賜る大御番旗本となったという〔。その後、小普請奉行に任命される〔。 嫌がらせが好きな性分で、人の嫌がることをしては悦に入ったという〔。大田南畝によれば、500石の大御番旗本から、旗本奴に転じた人物である〔〔。前歯が欠けており、銀製の義歯をしていたとされる〔六方男達 、8020推進財団、2012年8月2日閲覧。〕。 1645年12月(正保2年11月)、病気と称して任務を果たさず、江戸市中で無頼の行為を行っていることが発覚した〔。杉浦内蔵允正友(杉浦正友)に預けられたが、切腹を申し付けられ、同年同月25日(同年同月8日)、麹町の真法寺で切腹によって死去した〔〔〔。辞世の句は「わんざくれ 踏んぞるべいか 今日ばかり 翌日は烏が 掻ッ咬じるべい」というもので、べらんめえ調の「六方詞」で詠まれた〔〔。のちに塚原渋柿園が描いた『山中源左衛門』では、享年21(満20歳)とされているが〔渋柿集、p.757.〕、『寛政重修諸家譜』の記述からすれば、それよりも年長であるとみられる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山中源左衛門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|