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山中 鏆(やまなか かん、1922年1月20日 - 1999年9月26日)は、山口県下関市出身の日本の実業家。伊勢丹専務から、松屋では副社長・社長・会長を歴任、経営危機に陥っていた同社を再建を果たした後、東武百貨店の社長・会長を歴任した。『ミスター百貨店』『百貨店経営の神様』『松屋中興の祖』とも称された。 == 来歴・エピソード == === 誕生から終戦まで === 1922年1月20日、山口県下関市で7人兄弟の長男として生まれる〔読売新聞、1994年7月4日付朝刊、P.12〕。名前の鏆は『康熙字典』に記載されている中国の漢字で〔読売新聞、1994年7月10日付朝刊、P.14〕、大倉土木(現・大成建設)で北洋軍閥向けの貿易を担当していた〔父親が、「鉄をも貫くような強い意志」との意味を込めて命名した〔。この仕事のため生後1年で満州の奉天に渡り、南満州鉄道附属地で暮らした〔佐野眞一『現代の肖像 東武百貨店社長の山中鏆氏』「AERA」朝日新聞社 1991年9月3日号〕。幼少期には父に連れられて段祺瑞の自宅を訪問した事もあるという〔。 奉天一中を卒業後、父親の命に従って一人で日本に戻り慶應義塾大学予科に進学した〔。第二次世界大戦中の1943年、予科2年で学徒出陣によって野砲兵第5連隊に入隊〔。その後、久留米の予備士官学校を経て〔、中国語が堪能であったため陸軍中野学校へ推薦で入学した〔。1945年7月に参謀本部軍事調査部に配属され、そこで終戦を迎えている〔。一方、満州に残った家族は父と祖母が戦中に病没し、弟妹各1名も結核で亡くなった。残った母と弟妹は1946年秋に博多に帰国したが、その直前に妹が病没している〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山中かん」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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